なぜ、本を手放すのは難しいのか。
断捨離に立ちはだかる壁、それは本。
こんにちは。
このブログに来てくださり、ありがとうございます。
若村紫星です。
白状します、
本が手放せないのです~~~~!(><)
八木さんの自己理解プログラム→自分の内側の片付け終了
ミニマリストしぶさん方式で→自分の外側を片付ける
…のはずが、終わらない片付け!
終わっていく、夏!
しぶさんの言う通り、洋服を最初に断捨離、次に紙の本と進んだのですが、これを古本屋さんへ持って行くにしても、「別に今日じゃなくてもいいか~」となかなかできない。
さすがに売れないなあという古い本も捨てることができない…。
自己紹介で書いた通り、元小説家志望なので、小説を始め、古いヨーロッパ映画の本など、小説の参考資料にと集めた本がいっぱいあります!
すっきりした部屋で暮らしたいので、片付けたい。
なのに、本を手放せない、片付かないと悩む日々…。
自分にとっての本
悩んだ末、自分が自己理解コーチになったつもりで、自分に尋ねてみました。
「どうして手放したり、捨てたりしたくないの?」
すると、
「本が辛い時に助けてくれたからだよ」
という心の声がしました。
「自分を救ってくれた存在を、そんなふうに簡単に手放せないよ」
…そりゃ、そうだ。
人として、そういうことってあるよね、と。
しかも、古本屋さんに持って行くのが重くて大変というのはあっても、何とか持って行ける本もあるにはあるのです。
そういう本は、自分が何かから解放されたくて、その本から情報を得たい一心で、仕事の帰りなどに買い込んだ本。
つまり、その本を、その時だけ自分の心の安定のため、利用としようとして買った。
そういう本は手放すのに躊躇しませんでした。
あとは、「たとえ値段がつかなくてもいい!この本を読みたいという人がどこかにいるはずなんだ!その人に届けるのだ!」
という謎の使命感を持っている場合とか、
「この本の良さを、誰か後世に伝えておくれ」
と古の伝説を語る老婆の気持ちとか。
そういう場合も、本を売りに行けました。
手放しにくいのは自分が純粋に「面白い!」と思って、発売日にワクワクして買った本。
しかも、そういう本は手放すとしても、「売るよりも捨てたい」という奇妙な欲望にかられることさえある。
「自分以外の、誰かに触れさせるぐらいなら、いっそ――」
みたいな。
…いや、若干、自分でも引きますわ。(汗)
一方、思い入れのない本には、「これ売って、いくらかでも取り返せないか?」という、セコイ根性丸出しだったり…なかなか極端です。
おひとり様の相棒、本。
なかなか、手放せないものについては、
「それって、自分にとって、どんな存在なのか?」と改めて自分に訊いてみると、意外な答えが返ってきますよね。
今回、自分の場合は、本というのは上で話した通り、わたしを「助けてくれ」、「救ってくれた存在」でした。
考えてみれば、読書って、独りでするもんですから。
もし、目の前にいる友達が、今まで普通に会話してたのに、ふいに本を取り出して読み始めたら、あっけに取られてしまいますよね?
本こそ、おひとり様のためのアイテム。
読書はソロ活の代表格です。
わたしが寂しい時、そばにいてくれて夢を与えてくれたのが、本。
だからきっと、わたしは、本を、なかなか手放せないことがある。
今回も、ちゃーんと理由がありました。
出来ない自分を責めるよりも、出来ない理由は何かを考える方が、ずっと合理的だし、心も落ち着くもんです。
画像は、わたしが持っている橘香いくの先生のコバルト文庫の『有閑探偵コラリーとフェリックスの冒険』シリーズ内の3冊。まだライトノベルの地位が確立される前、「少女小説」と呼ばれていた頃の本が、わたしの学生時代の良き友でした。