「受け容れることが怖い」
「自己受容が大事」
「まずは現状分析から」
そうした言葉を頭では理解しているけれど
自分の弱さ、現在の状況を直視することが怖い。
私にはそうした気持ちがありました。
この気持ちがなかなか拭えなかったのは
なぜだろうと考えると、それは
受け容れるが、「諦める」になりそうだから
だと気づきました。
弱い自分を受け容れるということは
強い自分を諦めることにつながり、
それがそのまま、
自己否定になりそうで怖かったのです。
もちろん「諦める」の語源は「明らむ」
つまり、「明らかにする」ということで
仏教由来ではプラスの意味もあります。
しかし、やはり私の頭にあるのは
「断念する」「挫折する」「頓挫する」
そうしたマイナスの意味合い。
「自分を受け容れる」が
結果として現状を追認することになり、
「自分を諦める」になりそうな感覚でした。
では、今私が「受け容れる」を
どう捉えているか。
それは、
「自分の現在地と向いている方向の確認」
です。
少し抽象的ですね。
まず、現在地の確認。
これは自分の現状の確認です。
自分が進みたい方向にある目的地に対して
自分がどの程度の位置にいるのか。
これは、肯定も否定もしないことが重要です。
現在、この地点にいることについて
過去の自分を責めることはできます。
しかし、過去の自分は変えられない。
だから、徒労に終わってしまう。
なので、ここで自分を評価したくなる気持ちを
ちょっとおさえておくのです。
次に、向いている方向の確認。
これは、人生の方向性というレベルのことです。
例えば、まだまだ目的地は遠くても、
目的地の方向に体が向いていれば、
第一段階は、それでオーケーなのです。
しかし、この方向性が違うと、
いくら頑張っても自分の人生は歩めません。
その方向性を見失ってしまうのが「人生迷子」であり、
方向性を明確にするためには、人生の価値基準
つまりテツガクを明確にすることが重要、
というお話を別の記事にてしております。
ただ、ここでも違う方向に向いても
自分を否定する必要は実はないんです。
違う方向を向いていることに
気づけたことが進歩ですから。
先ほどの「諦める」だと
自分の行きたい方向に進むことすら
断念するようなニュアンスがあります。
一方で、「受け容れる」だと、
一旦現在地と方向を確認する、
というフラットなニュアンスを感じます。
私たちは、すぐ「評価」をしたくなります。
現状が目的地から遠いから悪い、
自分の行動が足りていないから悪い。
「受け容れる」は、
その評価を一旦保留にしておいて
ありのまま自分を見てみること。
哲学の現象学という分野には
「エポケー」という言葉があります。
判断停止、判断留保などと訳されますが、
私たちの頭がすぐにしようとする「評価」「判断」を
一旦止めて、観察してみるという意味を持つ言葉です。
私は、その言葉のイメージに近いと思っています。
「諦め」なくていいから
「受け容れて」みることで、
実は、現状に抗いつづけるよりも
ずっと楽に進めるようになるのです。
おわりに
最後までお読みいただきありがとうございます!
私は、「人生迷子を1人でも減らす」ために
日々活動をしております。
「人生迷子」を減らすために
運営している具体的なプログラムが
こちらとなります!
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自己紹介も兼ねたこちらの記事も
ご覧ください。
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