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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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2024年6月の記事一覧

真似してもらえる幸せと危機感

最近、「じぶんジカンのことを参考にしてそうだな」と思う機会が増えた。 例えばインスタグラムの発信。先日、じぶんジカンの投稿デザインとまったく同じ発信をされている方をたまたま発見した。内容は違うものの、デザインやフォント、文字の大きさ、その他装飾の配置もすべて同じだったので、おそらくトレースしたのだろうと思う。 そういうデザインみたいなわかりやすいところだけでなく、文章表現や、発信方法、Webショップの体裁、その他もろもろ。平たく言えば「真似されている」ということになる。

自信についてと、「そんなの無理だよ」への抵抗

「カフェをつくろうと思っていて」 と言うと、わりとよく「コーヒーだけでは難しいよ」「お菓子もつくったら?」「ご飯も出さないとお客さん来ないんじゃない」と心配される。 そのたび苦笑いで「やりながら、お菓子やご飯も考えてみます」と返す。ここで反論しても良いことがないってことは、三十数年間生きて、さすがにわかっている。 誰しも親切心でアドバイスをくれているのはわかる。けれどわたしは偏屈なので、「わたしの人生なのだから好き勝手やらせてほしい」と思ってしまう。仮に失敗したとしても

自分のための場所、誰かのための場所

「 "自分のため" だけだったら、もう挫けていたかもしれない」 と、お店づくりの過程で何度も思う。 考えることの多さ、やることの多さ。加えて、見知らぬ土地であること。300平米もある敷地の管理。初めてのことだらけ。 自分が心地よく過ごす場所というだけであれば、もっと小さな場所で良いだろうし、こんなに自然豊かでなくても良いかもしれない。つまりは、この地である必要性も、この建物である必要性もないと思う。 でもここは「わたしだけの場所」ではなくて、自分と向き合う時間を大切に

見えてる世界がすべてだと、思いがちだけれども。

もともと出不精で、さらに人との関わりを広げるのが苦手な性なので、何かを始めようと思ったときに「いま自分でできる範囲で」と考えることが多い。 例えば、現在お店づくりをしている物件。 こういう物件探しにおいて、よく大事だと言われるのは「現地のコミュニティに入ったり、顔見知りを増やしたりすること」だったりするのだけど、わたしはインターネット上でこの物件を見つけ、購入に至っている。何度も通ったり、現地の人脈をつくったりといったことはしなかった。 また、フリーライターになった時も。

「自分が活きる場所」に身を置くこと

最近、自分の仕事について説明する機会がかなり増えた。 というのも、伊豆高原に移住してきて、お店づくりにいろんな人が関わってくれたり、近隣の人たちも見守ってくれたりする中で、「お仕事は何されてるんですか?」と必ずと言っていいほど聞かれるので、「ノートを作ってWebショップで販売していて〜」とか「主にSNSで知ってくれた人がお客さんになってくれていて〜」とざっくり説明する。 近隣の方も、お店づくりに携わってくれる業者の方も、わたしよりも年上の人が多いからか、インターネット上で