真似してもらえる幸せと危機感
最近、「じぶんジカンのことを参考にしてそうだな」と思う機会が増えた。
例えばインスタグラムの発信。先日、じぶんジカンの投稿デザインとまったく同じ発信をされている方をたまたま発見した。内容は違うものの、デザインやフォント、文字の大きさ、その他装飾の配置もすべて同じだったので、おそらくトレースしたのだろうと思う。
そういうデザインみたいなわかりやすいところだけでなく、文章表現や、発信方法、Webショップの体裁、その他もろもろ。平たく言えば「真似されている」ということになる。
なかには直接教えてくれる方も。「じぶんジカンさんのSNSでの絵文字の使い方を真似しています」と教えてもらった時は、そんな細かいところまで見てくれているのか!と、なんだかくすぐったい気持ちになった。
わたしは「真似される」ということに関して、幸せと危機感がごちゃまぜになった気持ちを抱くことが多い。
まず、幸せ。真似されるってことは、「良いと思っている」ということで。真似したら上手くいきそうとか、良い感じのクリエイティブになりそうとか、そう思ってもらえているということ。
(ただ前述のインスタグラム投稿のデザインまるパクリは、ちょっと悲しかったけれども。何時間も練ってつくった、じぶんジカンのテンプレートなので……参考程度にして、自分色を加えて組み立て直してもらえたらいいのにな)
一方で、危機感も。真似できるってことは、言葉を選ばずに言えば、真似できてしまうレベルだってこと。もっとクオリティを上げる必要がある。言い換えれば、磨けるのびしろがあるってこと。
実はこれまでもフリーランスで働く中で、「真似される」という経験をいくつかしてきた。SNSの発信や、ブログの内容などなど。そのたびに「やばいぞ」と感じて、自分をアップデートするべきタイミングなのだと思った。
じぶんジカンが5周年を経て6年目に突入し、すこしフェーズが変わったことを肌で感じる。実店舗づくりもそうだけど、インターネット上での注文数も今のところ昨年より多い。
最近では「全国の書店やLOFTにおいてますか?」という問い合わせを頻繁にいただいたりもして、プロダクト達が「ふつうのお店に置いてありそうな佇まい」になってきたのだと思ったりもする。立ち上げ当初の「個人が作りました」感のあるノートだった頃には、考えられなかったことだ。
ブランド自体が、もう一歩先へ進もうとしている。わたしの想像を超えて、「ブランド」になっていく。
表層を真似されても、へっちゃらなぐらいに。そして本質は真似できないほどに、磨きをかけて。
じぶんジカンが、より心地よい「自分と向き合う時間」をお届けしていくために。わたしはこのブランドが健やかに次のステップへと進めるよう、自分が作り出すもの達をアップデートしていきたい。
おわり
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●既刊エッセイ集も再入荷しています
運営している「じぶんジカン」では、自分と向きあう時間をつくるノートをお届けしています。もっと心地よく自分を生きるための一歩目に、よかったらどうぞ。