自分だけの「散歩」が散歩なのさ!【健康エッセイ】
・私の「散歩」の定義
「散歩」って、何をすると散歩になるのだろう。
ふと考えて、まず私が最初に連想したのは
「外を歩く」
「気分転換」
「運動」
といった言葉でした。
長さとしては、10分以上あれば、散歩の範囲に入るかなぁと思っています。
手元の辞書には
【気晴らしや健康などのためにぶらぶら歩くこと】
とありますが……
皆さんは、何が散歩だと思いますか?
そう訊いたのは、かつての私が凝り固まった言葉の定義に自分を当てはめて、行動を止めてしまっていたからです。
◇
・自分には散歩はまだ早かったのだろうか
体調が回復してきて、毎日散歩に出るようになりました。
15分くらい歩いていたでしょうか。
外を歩くのは、気分が良かった。
雨の日も、よほどのことがなければ
歩くようにしていました。
けれど、そのうち右足が痛むようになって。
最初は無視していました。
けれど、痛みが強くなって、結局行けなくなってしまいました。
自分には散歩はまだ早かったのだろうか。
元気になっていると思っていたからこそ、少しガッカリしました。
だから痛みが引いても、何となくしばらくは行く気にならなくて。
でも、やっぱり散歩中の気持ちよさを思い出すと、行きたいという想いが出てくるのですよね。
◇
・ 「散歩」の定義は自由で良かったんだ
本当に私には、まだ散歩は無理なのだろうか。
距離を短くして、再開してみることにしました。
まずはスニーカーを履いて、
エレベーターを降りて、
マンションの入り口に立つ。
立ったら、
またエレベーターに乗って、
家に帰る。
ここから始めてみたんです。
それすらも少し面倒だなと思う日は、リビングの中をうろうろしたり。
そうするうちに、思いました。
散歩の定義は自由で良いんだなって。
私の中では、10分以上、外を歩いて運動したと思えることが、散歩だと思っていました。
でも、それに縛られなくて良かったんですね。
◇
・自分なりの「散歩」を楽しんで!
言葉には、良くも悪くも力があると思っています。
だからついつい、それに引っ張られて、自分を当てはめてしまいがち。
その言葉の定義は、世の中が作ったものかもしれない。
家族の中での、共通のものかもしれない。
でも、それを一度、疑って崩してみるのは、意味のあることなのかもしれません。
それは、自分に強要することが減るから。
外を歩くことだけが散歩なのか。
1分は散歩に入らないのか。
定義が自由であるのなら、
散歩する自分を想像するのも、
街歩きの番組を見るのも、
立派な散歩だと私は思っています。
言葉の定義は、自分用に作って良い。
体調に合わせた、今できる「散歩」をどうか楽しんでくださいね!
※ヘッダー写真は、クリエイターさんの画像をお借りしています。
ありがとうございます😊