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自分だけの「散歩」が散歩なのさ!【健康エッセイ】


・私の「散歩」の定義



「散歩」って、何をすると散歩になるのだろう。

ふと考えて、まず私が最初に連想したのは
「外を歩く」
「気分転換」
「運動」

といった言葉でした。

長さとしては、10分以上あれば、散歩の範囲に入るかなぁと思っています。

手元の辞書には
【気晴らしや健康などのためにぶらぶら歩くこと】
とありますが……

皆さんは、何が散歩だと思いますか?

そう訊いたのは、かつての私が凝り固まった言葉の定義に自分を当てはめて、行動を止めてしまっていたからです。


・自分には散歩はまだ早かったのだろうか



体調が回復してきて、毎日散歩に出るようになりました。

15分くらい歩いていたでしょうか。

外を歩くのは、気分が良かった。

雨の日も、よほどのことがなければ
歩くようにしていました。

けれど、そのうち右足が痛むようになって。

最初は無視していました。

けれど、痛みが強くなって、結局行けなくなってしまいました。

自分には散歩はまだ早かったのだろうか。

元気になっていると思っていたからこそ、少しガッカリしました。

だから痛みが引いても、何となくしばらくは行く気にならなくて。

でも、やっぱり散歩中の気持ちよさを思い出すと、行きたいという想いが出てくるのですよね。

・ 「散歩」の定義は自由で良かったんだ



本当に私には、まだ散歩は無理なのだろうか。 

距離を短くして、再開してみることにしました。

まずはスニーカーを履いて、
エレベーターを降りて、
マンションの入り口に立つ。

立ったら、
またエレベーターに乗って、
家に帰る。

ここから始めてみたんです。

それすらも少し面倒だなと思う日は、リビングの中をうろうろしたり。

そうするうちに、思いました。

散歩の定義は自由で良いんだなって。

私の中では、10分以上、外を歩いて運動したと思えることが、散歩だと思っていました。

でも、それに縛られなくて良かったんですね。


・自分なりの「散歩」を楽しんで!



言葉には、良くも悪くも力があると思っています。

だからついつい、それに引っ張られて、自分を当てはめてしまいがち。

その言葉の定義は、世の中が作ったものかもしれない。

家族の中での、共通のものかもしれない。

でも、それを一度、疑って崩してみるのは、意味のあることなのかもしれません。

それは、自分に強要することが減るから。

外を歩くことだけが散歩なのか。

1分は散歩に入らないのか。

定義が自由であるのなら、
散歩する自分を想像するのも、
街歩きの番組を見るのも、
立派な散歩だと私は思っています。

言葉の定義は、自分用に作って良い。

体調に合わせた、今できる「散歩」をどうか楽しんでくださいね!

※ヘッダー写真は、クリエイターさんの画像をお借りしています。
ありがとうございます😊

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頑張りたい理由がある人へ | ジストニア体験者・研究家 永松ひさこ
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