永松ひさこ

「感覚の世界」を広める活動をしています。2007年からジストニアという運動障害が現れま…

永松ひさこ

「感覚の世界」を広める活動をしています。2007年からジストニアという運動障害が現れました。そこから見えてきたのは、これまでずっと感覚に悩まされてきた人生だったということ。感覚の研究が進むことを願って、救われる人が増えることを願って、私の経験を発信していきます。

マガジン

  • ジストニアという迷路を遠くから眺めてみたら

    私のジストニアは2007年から始まりました。ジストニアとは、脳に何らかの異常があって起きる運動障害です。・一時期は、悪化する一方。歩行が難しい。声が出せない。呼吸が苦しい。・けれど、これまでの考え方から離れられたことで、回復軌道に乗ることができました。・新たな視点でジストニアと向き合ってみたい方。ご家族がジストニアと診断されて、困っている方。どうにか回復したいと願っている方。・そういった方々が、この物語を読むことで、前向きな気持ちになれますように。希望を感じられますように。そんな願いを込めて書きました。

最近の記事

第7話 点と点が線になってきた

幼い頃に後頭部を強打して脳震盪を起こした過去が、急によみがえってきた。 私の原因は脳なんだ。 脳を診てもらわないと。 でも、どの病院に行けば良いのだろう。 ふと、一件の治療院が頭に浮かんだ……。 これが前回までのお話です。 第7話 点と点が線になってきた この治療院は、たまたまインターネットで見つけて以前から気になっていました。 さっそく、先生の本を買って読んでみる。 すると、あるページに目が止まりました。 「交通事故などで、頭部を強打したり打撲した経験はないだろうか

    • 第5話 たまたま出会った健康グッズが、私を動かした

      手術によって、全身性ジストニアになった。 なのに、私はそれ以降も同じことを繰り返した。 なぜそれほど手術にこだわったのか。 理由は、あまりにも不安だったから……。 これが前回までのお話です。 第5話 たまたま出会った健康グッズが、私を動かした 手術を繰り返す5年間に変化が訪れたのは、2011年。 叔父が、はめているブレスレットについて、話題にしたことがきっかけでした。 それはゴム製でできた、健康グッズ。 右か左、どちらかの手首にはめると、体のバランスがとれて疲れにくくな

      • 第4話 手術への絶対的信頼が、自分を苦しめた

        2度目の眼瞼けいれんの手術のあと、全身に硬直やけいれんが現れて。 手術を受けた病院に電話をかけると、「ジストニア」という、聞きなれない言葉を耳にした……。 これが前回までのお話です。 第4話 手術への絶対的信頼が、自分を苦しめた ジストニアとは、脳に何らかの異常があって起きる運動障害だと言われています。 自分の意思とは無関係に、筋肉が硬直したりけいれんしてしまうのです。 詳しい原因がわかっておらず、治ることも残念ながら難しいのだそう。 そんなジストニアという診断を、

        • 第3話 瞼を手術して、全身性ジストニアに

          幼いころから不調があっても、「精神的な問題」だと診断されてきた私。 瞼が垂れ下がっても、診断は同じ。 おまけに、「ヒステリー」とまで言われて。 原因追求する私の長い旅が、 ここから本格的に始まっていく……。 これが、前回までのお話しです。 第3話 瞼を手術して、全身性ジストニアに 原因をつかむと意気込んでみたものの、どう調べれば良いかわからない。 そこへ、母が一冊の健康雑誌を持ってきました。 紹介されていたのは、眼瞼下垂症の専門家。 眼瞼下垂症とは、瞼が黒目の上まで上

        第7話 点と点が線になってきた

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        • ジストニアという迷路を遠くから眺めてみたら
          6本

        記事

          第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた

          瞼が垂れ下がる。 まぶしくて、瞼がけいれんする。 なのに、検査入院では「異常なし」という診断。 悔しさが溢れでた……。 これが前回までのお話しです。 第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた 私は小学校低学年の頃から、何となく心身が重いと感じていました。 肌感覚も、何となく気持ちが悪い。 けれど、どれも表だった不調ではなかったし、他の人もそうなのだろうと思っていました。 なので、誰かに伝えようとは考えませんでした。 それに、運動が得意で割と活発な子だったので、それ

          第2話 「ヒステリー」と診断されて、目が覚めた

          第1話 演技をしたから、精神的な問題です

          これから10話にわたって「私のジストニア物語」を紹介していきます。 眼瞼けいれんから始まり、全身性ジストニアへ。そこからどのように回復軌道に乗れたのか。その経緯をつづった短編物語です。 序盤は耐える状況がつづきますが、最後は希望を感じられる内容になっていると思います。 のんびりと読んでいただけると嬉しいです。何かの参考になりますように。 第1話 演技をしたから、精神的な問題です 2007年、春のこと。 私は、横浜市内の大学病院に向かっていました。1週間の検査入院をす

          第1話 演技をしたから、精神的な問題です

          不調を言葉にできなくて困っている人へ

          今日のブログも、最近読んだ本から発想を飛ばして書いてみようと思います。 辻村深月さん「あなたの言葉を」 この本は、本屋さんでたまたま手に取って、「はじめに」を読んで惹かれた本です。その中で、辻村さんはこんな内容のことを書いています。 (かいつまんで紹介させていただきますね) 深く共感しました。ただ、私の悩みは、辻村さんのそれとは少し違っていて、自分の心や身体のうっとうしさについてが中心でした。 私は、幼い頃から心身に違和感を覚えていました。でも、誰にも伝えずに大人にな

          不調を言葉にできなくて困っている人へ

          パニックになったとき用意するのは、紙とペンと探偵気分。

          ジストニアの人は刺激に弱いと言われています。少なくとも私は弱い。 スポーツ観戦も苦手。心臓がいつもと違う動きになることが、すごく嫌で。だからミステリーとも縁遠いです。(コナンくんとかアガサクリスティーの「ミスマープル」ならば楽しめるけれど) そんな私が「十角館の殺人」を読みました。辻村深月さんのエッセイ「あなたの言葉を」で紹介されていたので。 ●「十角館の殺人」 裏表紙には「世界が認めたJミステリー」というキャッチコピー。買って、読み始めて、さっそく後悔した。一人二人

          パニックになったとき用意するのは、紙とペンと探偵気分。

          自分と向き合いたくても、できない気持ちがわかるから

          私の眼瞼けいれんは、2006年の年末から始まりました。でもこの年を振り返ると、結構色々なところに遊びに行っていたようです。 3月 湯河原 4月 野球観戦 5月 USJ 8月 旅行 9月 野球観戦 10月 サッカー観戦 11月 ズーラシア、旅行 この年の3月に転職したことが大きかったと思います。 退職の理由は、いつも体調不良 それまで勤めていた会社は、2社とも遅くまで残業があったんです。どちらも体調を崩して退職。なので忙しい仕事に就くのは、もうやめようと思いました。

          自分と向き合いたくても、できない気持ちがわかるから

          笑顔を作るのが苦手なのは、身体に問題があったから

          写真は2006年当時の私。社会人3年目。一緒に写る友だちと比べると、上体や首を傾けてポーズを取っているような。でも、まだジストニアは出ていません。と言っても、この年の年末から眼瞼けいれんが出始めるのですが。 笑顔って大変 私は昔から、笑顔を作るのが苦手でした。なんとなく、顔がゴムのように硬くて、自然な表情が作りづらかった。笑うためには全身に力を入れる必要があって、学校帰りはいつも疲れていました。 年齢が上がるにつれて、その傾向は強くなるばかり。でも、他の人も同じなのだ

          笑顔を作るのが苦手なのは、身体に問題があったから

          私のライフワークは、病気の経験を活かして人生と社会を豊かにすること

          数年前、いよいよ体調が上向き始めた時、翻訳の仕事をしようと思い立ちました。だけど、心の電池が切れてしまいました。 ●働きたいのにストレスに負けてしまう 実を言うと、働いていて心の電池が切れる経験をしたのは、これが初めてではないんです。ジストニアになる前から、そうだった。 新卒から発病するまでの2〜3年の間に、3つの会社を渡っています。いずれもストレスが原因で退職しました。 働くことへの興味は、学生の頃から割とあったんです。ジストニアになってからも、働きに出る未来を想像

          私のライフワークは、病気の経験を活かして人生と社会を豊かにすること

          私が心の内を話せるようになったのは

          私はジストニアになる前も、なってからも、心の内を人に話すことはほとんどなかったように思います。 ジストニアについては話せました。それに伴う悩みごとや困りごとも話せました。 でも、心の奥を明かすことはしませんでした。 なぜ話さなかったのだろう。 ●幼い頃からの気持ち 私は幼い頃から、何となくいつも不安を覚えていました。不安と感じるか感じないかの、本当に居心地の悪い不安。何か変という感じです。 理由が分かっていれば、対処することができたかもしれません。不安にさせる物事

          私が心の内を話せるようになったのは

          焦点を当てるのはすべての経験〜今も過去も、心も身体も

          ●誰の役に立ちたい? これから社会に出て活動するなら、 まずは過去の自分に役立つ存在になりたい。 そこは最初からブレない考えでした。 じゃあ、どんな人がいたら 過去の私は救われただろう? 日記に、 いろいろな職業を挙げてみました。 カウンセラー? 違う 医者? 違う コーチ? 違う メンター? 違う 心と体を診てくれる人? そう…かもしれない。 でも、もっと こんな人! と、ぴたっと来る人がいるはず。 ふと、 体験者が頭に浮かびました。 そうだ。 過去の私

          焦点を当てるのはすべての経験〜今も過去も、心も身体も

          ジストニア経験者として、全身を見る大切さを伝えたい

          ジストニアが回復してきて、 その経験を今後に活かそうと思っています。 でも、病院探しのコツ。 生活習慣を見直すコツ。 症状を客観視するコツ。 そういうことは 目に見える部分のアドバイス。 いわば、表面的。 それも大事だけど、 それだけではジストニアに太刀打ちできないと思っています。 目に見えない心の部分こそ大事。 見える問題と見えない問題の 繋がりが、私にとって とても大事なテーマなのではないか? そう思っています。 ●自分責めした過去 過去を振り返ってみる

          ジストニア経験者として、全身を見る大切さを伝えたい