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イギリスの歴史(4)イングランドと3地域の複合国家体制

こんにちは!自由主義研究所の藤丸です😊

今回はイギリスの歴史シリーズの4回目です。
ちょっと細かい内容です…。サッカー好きには面白いのかも?💦

前回はこちら ↓


前回までで、エリザベス1世の時代を終え、この後から、

イギリスの立憲君主制ができてくる過程としても重要な、
ピューリタン革命(清教徒革命)と名誉革命への時代に入ります✨


ピューリタン革命の理解には、
当時の王・議会の関係と、
他の3地域との関係が重要となってきます😊

✨今後のポイント✨

女王エリザベス1世の時代の約40年後、
イングランドでは、1640年に
ピューリタン革命で王(チャールズ1世)を処刑する大事件💦がおこる。


※ピューリタン革命の別名は、
   「大反乱」「イングランド革命」「イングランド内戦」
   「三王国戦争(イングランド、スコットランド、アイルランド)」
   「ブリテン革命(イングランド一国史観からの脱却)」


その背景を理解するには「イングランドと3つの地域の関係」が重要‼

このことは、アメリカ独立革命(独立戦争)の考えにもつながる。
日本国内や、日本と朝鮮半島の関係を考える上でも重要な視点が多い。

今回は、イングランドと3つの地域や関係について紹介します。
この下の図、大事です‼😆

今のイギリスは、当時は3つの地域に分かれていました。
イングランド(+ウェールズ)、スコットランド、アイルランド


イングランドによる複合国家体制


16世紀イングランドはヘンリ7世によって貴族の権力を縮小し、
「絶対王政」を樹立しました。

絶対王政とは??🤔

君主が絶対的な権力を行使する政治体制。

中世までの諸侯や貴族、教会の権力が地方に乱立し、
分権的であった状態から、

王が強大な権力を持って中央集権化を図り、
中央官僚と常備軍(近衛兵)によって、
国家統一を成し遂げた時代に特徴的であった政治形態。

ウィキペディア

ただし、絶対王政といっても
当時のイングランドは、
官僚制や国王の常備軍が十分に整備されず、
議会の同意をえながらの政治が必要でした。


次のヘンリ8世は、
中央集権的な統治機構改革を行いました。
枢密院、裁判所を設けます。
またヘンリ8世は国王至上法を公布し、
イングランド国教会が成立します。

ヘンリ8世については、↓ も御覧ください😆

当時のイングランドと他の3地域の関係
ウェールズ:イングランドは合同法によりウェールズを統合(1536年)

アイルランド:形式上は複合国家の構成員

スコットランド:スコットランドはイングランドとは異なる王と議会をいただき、複合国家の構成員になる可能性をもつにとどまる

まとめるとこんな感じ。

ちなみに現在のイギリス国旗は、
以下の図のような過程でできるそうです😆

それに比べると日本はシンプルですね~。

サッカーチームも「イギリス」ではなく、各地域に今でも分かれてますね😆
いろいろ因縁💦がある予感…。

イングランド・スコットランド・ウェールズ、北アイルランドのサッカーチーム



それでは、イングランドと3地域の関係について、
一地域ずつ見ていきましょう✨
ちょっと細かい内容ですが、
とりあえず「そうなんだ~」くらいに思っていただければと思います💦

もしかしたら、サッカーファンの人にとっては面白いかも…??

1,イングランドがウェールズを統合

黄色がウェールズです

13世紀ころのウェールズは、
法と言語を共有するウェールズ人が存在し、
ウェールズ大公が支配していました。

しかし、1277年イングランド王エドワード1世に破れて以降、
イングランド皇太子がウェールズの支配者になりました。


ヘンリ8世は1536年の合同法により、
イングランドとウェールズとの合同に着手しました。

ウェールズ法が廃止され、
イングランドと同じ州制度が導入され、
法と政治は急速に変容します💦

法廷ではウェールズ語は禁止され、
英語教育も積極的に導入され、
宗教では国教会を導入しました。

ヘンリ8世の宗教改革で、
カトリック修道院が解散され土地集積がされます。

またまた登場のヘンリ8世。


地元の有力者(ジェントリ)たちは、
土地の貸し付や投資で利益をあげ、
経済力をつけ、判事・議員にも選出されます。

前王ヘンリ7世がウェールズ出身であったこともあり、
ジェントリの大半はテューダー朝に忠誠を誓い、
教育や文化の面でもイングランド化を進めました。


ただし、一面にイングランド化が進んだわけではなかったようです。
1567年には新約聖書と一般祈禱書のウェールズ語訳がされるなど、
ウェールズ語は衰退しませんでした。
17世紀にはウェールズ住人のほとんどがウェールズ語を用いていました。

ウェールズ独自の文化も維持されていました。
ジェントリは血統を重視しました。
自らの地位や血統の正当性示すため、
バードと呼ばれる吟遊詩人(血統を歌う)を活用しました。
バードを買収し、血統を捏造する者もいたそうです💦


このように、ウェールズは政治的にはイングランド化しましたが、
文化的なことまではイングランド化させることは難しかったのです。

2,アイルランドを形式的に統合

緑がアイルランドです

次に、アイルランドとイングランドの関係についてです😊


アイルランドには、複数の王が存在していましたが、
その中の1人であるレンスター王が追放され、
イングランド王ヘンリ2世に助力を求めたことから、
それを助ける名目でイングランドの軍事侵攻が開始しました。

ヘンリ2世の命を受け、
ウェールズの領主による遠征と、
イングランド人の入植が始まります。

しかしアイルランドのゲール民族の抵抗にあい、
全島の支配はできませんでした。

1541年国王昇格法により、
イングランド王がアイルランド王をかねることになります。

ヘンリ8世はアイルランドにも、
イングランド的な集権化と宗教改革を浸透させようとしました。

イングランドは、アイルランドに地方評議会を設置し、
ゲール民族など有力な領主の力を削減しようとします。

しかし、反発されます。

イングランド国教会を押し付ける宗教改革も、
カトリックに抵抗され、失敗しました。

これらのイングランドによる改革は、逆に、
アイルランドのゲール民族の結束をまねき、
大規模な反乱を引きおこします💦


ゲール民族の反乱軍は、
スペインやローマ教皇に救援を要請し、イエズス会が派遣されます。
※ここで「イエズス会」が登場…😆

その後もアイルランドは、
「イングランドを再カトリック化するための基地」
となりました。


最終的にイングランド軍はゲール民族を破ります。
イングランド王(当時はジェームズ1世)は、
ゲール民族の土地を取り上げ、
イングランドとスコットランドの貴族・軍人・官僚に分配し、
その土地にはプロテスタントが入植しました。

これによりアイルランドは、イングランドに形式的に統合されました。
しかし、このゲール民族への弾圧は後の革命につながっていきます…💦

3,スコットランドと同盟 (複合国家の構成員になる可能性をもつにとどまる)

水色がスコットランドです

最後に、スコットランドとイングランドの関係です。

スコットランドは、
8世紀ころには統一王国が存在しました。

13世紀ころスコットランドの王位断絶の危機があり、
それに乗じてイングランド王エドワード1世は、
スコットランドに遠征します。


スコットランドは独立戦争により、
14世紀はじめにイングランドから統治権を回復します。


その後もイングランドの介入が続きますが、
スコットランドは「敵の敵は味方」理論で、
イングランドの敵であるフランスと同盟を結び対抗します。

1513年スコットランド王ジェームズ4世は、
イングランド王ヘンリ8世と対立し、戦争になります。
ジェームズ4世は戦死💦
次の王ジェームズ5世は、フランスと同盟し、
イングランドに備えるも大敗します💦


1542年、スコットランドで女王メアリ(メアリ・スチュアート)が即位しますが、

スコットランドの内部では、
■フランスの支援する「女王メアリとカトリック」派と、
■イギリスの支援する「貴族とプロテスタント」派が、
内戦になります(;_;)

結果、プロテスタント派が勝利し、女王を追放しました。

スコットランドの女王・メアリ・スチュアート。でも追放されちゃった…。


1600年頃、スコットランドはフランスと同盟を解消し、
イングランドと新たな同盟を結びます。

また16世紀後半には、
スコットランドにイングランドの国教会ではなく、
長老教会体制を樹立されます。
ここからスコットランドでは、
独自の宗教改革と国家建設が進展していきました。

最後にもう一度まとめます😆

当時のイングランドと他の3地域の関係
ウェールズ:イングランドは合同法によりウェールズを統合(1536年)

アイルランド:形式上は複合国家の構成員

スコットランド:スコットランドはイングランドとは異なる王と議会をいただき、複合国家の構成員になる可能性をもつにとどまる

最後まで読んでくださってありがとうございました。
今回はちょっと細かい内容でとっつきにくかったかもしれません💦

次回は、このイングランドによる複合国家体制が揺らぎ、
清教徒革命へと進んでいく様子をお伝えします😆

また読んでいただけると嬉しいです✨😊

今日のところの参考図書は以下です。
100ページ弱の薄くて読みやすい本なので、こちらもぜひ😊


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