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読書感想文/崩れる脳を抱きしめて


生まれてこのかた、彼氏がいた試しがない。

なんなら、恋愛したことがあるかどうかすら分からない。一度だけ人を好きになったのは、小学生の頃である。まさに恋に恋するお年頃だった。

当時はそれなりに頑張っていた気もする。髪の毛をセットするために液体スプレーを買ったり、相手の好きなタイプを調べて寄せようと努力した。恋というのは不思議なもので、その相手が人間だろうが恋自身だろうが、人を努力へと駆り立てる力を持っているらしい。ちなみにそんな初恋は、相手の「オレ彼女いるんだぜ」の一言で儚く散ることとなった。

今回はそんな「恋愛」を中心に展開するミステリー、知念実希人作『崩れる脳を抱きしめて』の感想を書いてみた。


読みながら真っ先に感じたのは、この人すごいことするなあ、ということだった。

何を以てすごいと言っているのか。前半と後半で雰囲気がガラリと変わったこと、後半にありとあらゆる展開が詰まっていたこと、単純にトリックが複雑だったことが挙げられる。

恥ずかしながら知念実希人さんの本を読んだのは初めてだったのだが、彼はどうやらミステリー作家らしい。最近読書からすっかり遠ざかっていたので、名前以外のことは何も知らなかった。

ミステリー作家の小説と聞くと、確かに納得のトリック(?)だった。伏線や設定が何重にも用意されており、そうきたか、そうきたかと次々に良い裏切りをされた。文庫本の帯に書かれていた「読む手が止まらない」という感想も、分からなくはない。物語が終わりに近づけば近づくほど、数々の事実がスピード感を持って判明した。


物語の舞台は神奈川県。

主人公の碓氷蒼馬(漫画に出てきそうな名前だ)は広島出身の研修医で、研修の一環として神奈川のある病院で勤務をしている。

そこで彼が出会ったのは「ユカリさん」という女性だった。ユカリさんは脳に異常を来して終末医療を受ける患者のひとりである。

蒼馬は研修医として働く中で、不思議な雰囲気を持つ彼女に惹かれていく。彼女はとても鋭い感性の持ち主で、蒼馬の黒い感情を出会った時から感じ取っていた。お互いに、相手を縛る心の苦しみを晴らしあったとき、蒼馬はようやく自覚する。

ユカリさんが好きだ、と。

蒼馬が研修を終えて広島に帰ったある日、ユカリさんが死んだという知らせを受けた。しかし、不可解なことが多い彼女の死について、蒼馬は疑問を抱く。そして独自の調査に出る。

ざっくり説明すると、こんなあらすじだ。

後半についてはネタバレを避けるため、物語の本筋に関わる部分は言及しないでおく。


蒼馬はストイックで頑なな性格だ。家庭の事情で、金を稼ぐために死に物狂いで勉強している。

一方で恋愛は不得手、というより本気で人を好きになったことがない。彼女がいたことはあったが、自分から人を好きになったことはなかった。物語の中で親友兼セフレに近い関係の女も出てくるのだが、以上の経緯もあってか彼からは時折表現し難い童貞臭さが感じられる。なりふり構わず想いを伝えようとする様子に人間味を感じた。

主人公にありがちなのかもしれないが、彼は自分の気持ちに鈍感すぎる。綺麗だ綺麗だと何度も感じておいて、なぜ好きだという結論に達しないのか。ストイックに勉強ばかりしてきた弊害だろうが、家族以外の人間への関心があまりにも希薄である。物語が進むにつれてそういった意味でも人間味が増していくが、序盤の蒼馬にはどんなに優秀でも診察して欲しくないと思った。


そして後半部分については、あくまで私の感じ方だが、展開が詰まりすぎているように感じた。よく言えば盛りだくさん、悪く言えばやりたい放題(もちろん本当にやりたい放題しているわけではないだろうが)。前半をたっぷり使って蒼馬とユカリさんの描写に充てているため、仕方ないことだ。これが知念実希人さんの作風だと言われれば、謝るしかない。だってそもそもミステリー作家だし。

あと、どうでもいい点ではあるが、蒼馬の空手部設定は出し方がクサすぎるかなという印象を受けた。これは完全に私の好みだが、あそこは力でなく蒼馬の頭の回転やスリルを求める気持ちもあった。

とはいえ、あの複雑な事実の絡み合いは純粋に面白いと思った。

前半で明らかになった蒼馬の父親についても驚きだったが、ユカリさんに関する事実が想像以上に込み入っていて圧巻だった。しかもその複雑な事実を、読者が混乱しないように分かりやすく描いている。物語の半分弱の分量であれだけの情報量を伝えてくる小説には、これまであまり出会ったことがなかった。そして次々と明らかになる要素から目が離せない感覚をおぼえた。数ページで物語の動きががらりと変わってしまう。それでいてきちんと1本の筋にまとまるのがすごいと思った。

しかも前半部分のストーリーや伏線を存分に活かした謎がたくさん出てきたので、抵抗なく読み進められた。元々ミステリーはそこまで好きではないのだが、恋愛というワンクッションがあったことで親しみやすさを感じた。恋愛ミステリー、と言う売り文句に納得がいく作品だった。


今回久々にミステリーを読んだからか、感想がわき上がるまでに時間がかかった。しかし事実が明らかになったときの納得感には、なんともいえない快感がある。今後はミステリーにも手を出してみようと思う。


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きのしたもさお
くだらないことばかり考てしまう人間のことを、もっと知ってくださると嬉しいです。

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