読書感想文/森絵都『カラフル』
予想外のトラブルに見舞われ、良くも悪くも何事もなかった2020年。
去年の今頃、私はオーストラリアにホームステイをしていた。理由はよくある、1ヶ月間の語学研修だ。残念ながらその成果は、今のところ発揮される機会がないままである。
とはいえ、向こうでの生活は思いの外気楽だった。日本で築き上げた微妙な人間関係の煩わしさから解放されたからかもしれない。もちろん友達や家族が嫌いなわけではないが、距離感のつかみづらい知り合いとの関係、部活仲間との関係、先輩・後輩との関係など、自分を縛っていたものから自由になったと思う。
自分として生きることは、思いの外不自由である。これまで自覚していなかったが、そういうことなのかもしれない。
今回はこれを自覚させてくれた小説、森絵都・作『カラフル』について書こうと思う。
主人公の「ぼく」は、既に肉体の死を迎えた、魂だけの存在。前世の記憶は、もうない。彼は見知らぬ天使に導かれ、拒否することもできず再び人間として生きることになる。
彼に課されたのは「再挑戦」といって、他人の身体を借りて生活を送りつつ、自分の罪を思い出して悔い改めることだった。他人の身体を仮の宿として他人として生活するという意味で、作中ではホームステイと表現されている。
案内人の天使によると、ホームステイ先の家族は最低最悪、肝心のホームステイ先の人物はどうやら中学生で人間と上手く関われないときた。「ぼく」はしょせん期限付きの他人の人生だ、とある種開き直って生活を送ることとなる。
そして「ぼく」は、生活する中で様々なことに気がつく。ホームステイ先の人物(小林真という中学三年生の少年だ)を自殺に追い込んだ誤解の数々、小林真が関心を持とうとしなかった学校の人物について。
たくさんの経験を通じて、「ぼく」は思う。小林真は早まった。「ぼく」が聞いた話は、本当は小林真本人が聞くべき内容だった。
そして「ぼく」は案内人の天使にある打診をすることとなる。その結果彼が理解したことは、予想の範疇ではあったが心に響く真実だった。
実は世間というのは、いい人に溢れている。
スタートダッシュで悪人に出会うと気付きづらいが、意外と人は優しくて善良なものだ。私自身、大学に入学してからそう感じることが多々ある。
しかし、一度恐怖を持ってしまったらそれを上手く払拭できないのもまた人間なのだ。所謂陰キャ(の一部)だとか元いじめられっ子だとかは、その恐怖を払拭できないまま引きこもることを選択していることがある(私も昔、プチいじめに遭っていた過去がある)。
積み重ねた経験とそれによる制限は、自覚しづらいものだ。実際にいい人たちとの関わりをたくさん経験しても、心の奥底では他人の言動や行動を、悪意に満ちたものだと思い込みがちである。もちろん本当に悪意がこもっていることもあるが(私は多々あると思ってしまっているが、真実のほどは分からない)。
自分への無意識の制限については、私の過去記事「抑圧型人間」(https://note.com/jewel_undertree/n/ncdebe8eae715)でも述べたが、今後自分の経験を中心とした詳しい考えを載せようと思う。
ネタバレになるが主人公の「ぼく」の正体は、ホームステイ先の人物・小林真本人である。彼は記憶を取り戻した時に、下界で生きていく自信を失ってしまう。ホームステイしている間は他人事だと思っていたからできたことも、自分のことと思うと慎重になってしまうと彼は言う。
当然のことだ。先程述べたように、経験とそれによる自分への制限は自覚しづらい。経験とそのときの感情を通じて、人間は気持ちを選別しているのである。具体的には、特定の何かを始めるか否か、その判断基準となる勇気なり意欲なりがわくかどうかは経験が決めるということだ。
「ぼく」には経験がなかった。だからこそ自由に物事に取り組み、自由に生活を送ることができた。そしてそれが、結果的に下界で「上手くやっていく」ということにつながったのである。
自身を失いかける彼に向かって天使がアドバイスしたのは、ホームステイだと思えばいいということ。人生全体を長いホームステイだと捉えて、自分で自分を縛らずに生きていけということだ。
その台詞で、生きづらさがかなり解消された気がした。
私たちは無意識に、自分で自分を縛って生きている。生きるのが上手い人というのは、自分で自分を自由にできる人なのだろう。もしくは、本当に嫌な経験をしてこなくて、縛りを持っていない人か。しかし、そんなお気楽な人間は実は少ないのかもしれない。
生きるのが上手い人は苦労をしてこなかったのではなく、過去と今を切り離して考えることができる人たちなのだ。
つらい経験をしてこなかった人には分からない、といって積極的に関わろうとしなかった自分の行動が悔やまれる。それに気付くチャンスを与えられたという点で、小林真は本当に幸運だったと思う。
と同時に、彼のように誤解だらけで早まることのないよう、過去に縛られない生き方をしなければならないと思った。
とはいえ、そんな簡単にできたら世の中に卑屈な陰キャも生きづらい人間も存在しないはずなのである。
でもこの物語にならって、もう一度挑戦してみようと思う。
キーワードは「人生は長めのホームステイ」でいこう。それがいい。
楽になることは悪いことではないのだ。それも、この物語ではないが、別の本に書いてあった。
長い間読書なんぞしていなかったが、やはりするべきだ。読書。
以上の自己啓発を述べて、今回は終わりとする。