【映画雑記】『エミリー・ローズ』観ました。
2005年のアメリカ映画、『エミリー・ローズ』を観ました。
もう20年近く前の映画ですが、オカルト好きなら知ってる人も多い1976年に西ドイツを震撼させたアンネリーゼ・ミシェルの悪魔憑き事件に材を取った秀作でした。あらすじとビジュアルの雰囲気からつい『エクソシスト』の二番煎じかと懸念してしまいましたが、共通点はあるにしろ全く異なる仕上がり。モデルとなったアンネリーゼがその死をもって存在が広く知られたように、映画はタイトルロールであるエミリー・ローズの死から始まり、その死に寄り添った神父が「保護責任者遺棄致死」に問われて裁かれる。エミリーの死は「悪魔祓い」の皮を被った虐待の結果ではないかと疑われたのだ。なので物語の舞台の殆どは裁判所という異色のホラー映画でした。
そもそもアンネリーゼ事件も現職の司祭が裁かれるというものだったので当然っちゃ当然なんですが、「事後」に真相を探って奔走するホラー映画は数あれど、そこに司法が絡むものはなかなか見当たらない。そこに野心に溢れた弁護士や、実直な信仰を隠さない検事が登場して「そもそも裁かれるべきは何なのか」をお互いの主張をぶつけ合って争う。その二つの議論の決して交わらない平行線っぷりには、オカルトの是非を問う論争の寓意も含まれているようで興味深かった。そうした議論の果て…物語の中で神父に下される審判も苦痛と苦悩に満ちた物語の結末としては、実に身に沁みるものだった。そこでは神父の選択をどう受け入れるかの一つの提案が示される。悪魔祓い映画の元祖にして決定版である『エクソシスト』も、「善い行いとは何か」を問いかける映画であった。そこには確かに共通するものがある。
しかし、個人的には複雑な気持ちになるところもある。アンネリーゼ本人は「人々の罪を背負って死んで償う」と繰り返し口にしたそうだ。アンネリーゼは元々精神疾患を抱えており、長期に渡る治療に辟易して教会に相談して実際に悪魔祓いに臨んだという経緯があった。しかし、経過は芳しく無く悪魔祓いは10ヶ月に及んだ。衰弱していく中で彼女が望んだのが「贖罪」であり、そこで口にしたのが先の言葉だった。いまアンネリーゼが葬られたクリンゲンベルクでは彼女は聖女と崇められ、その墓を訪れるものが絶えない。映画の中でも「私を通じて悪魔の存在を人々は知る」とエミリーはその身を聖母マリアに預けることを拒んだが、アンネリーゼは「贖罪」という意識によって救われたのだろうか?
健やかだった頃と、悪魔祓いで疲弊しきったアンネリーゼの写真を目にするたびにわからなくなってしまう。
奇なり。