【映画雑記】『かがみの孤城』観ました。
昨年末、滑り込みで映画館へ行き『かがみの孤城』を観ました。
これは人と関わることに自信をなくして居場所をなくした子どもたちが、不思議な力で与えられた仮の居場所のなかで仲間を見つけ、次の居場所を選択していく物語です。主人公が不登校児ということで、どうしても自分のことから切り離せない事柄を扱っていたので没入して観てしまった。
とにかく子どもたちの寂しさに寄り添って背中をさすってくれるような優しさが全編に溢れているいい映画でした。家以外の居場所なんて別に一つでなくていい。自分のいる場所は自分で選んでいい。そういう極めて簡単なことを、まず大人か理解しないといけない。子どもたちに観てほしいのはもちろんだけど、この映画を観る必要があるのはむしろ大人。大人がそれを理解しないと子どもたちは益々苦しくなる。主人公が序盤で苦しんでいる理由もそこ。我が身を省みて娘の声が聞けてるか改めて考えてしまった。
外に居場所をなくした子どもたちにとって家が安心できる隠れ家であるか。安心できるためにきちんとわが子の声に耳を傾けているかと見ながらグルグルと色々なことが次から次へとわいてきた。だから、主人公の母親が娘からのサインをやっと受け止めてあなたと戦うと話す場面は涙が止まらなかった。その戦うと決めた母親が、無能な教師に一喝する場面がある。そのくだりがかつて自分も経験した場面そのままで、かみさんとも話した(実は娘もまじえて3人で観に行った)が記憶がフラッシュバックして溜息が出てしまう場面がたくさんあった。ほんとにこんなことばっかりなんです。わかってもらえるまで。
もとい、この映画観て「大人は子どもたちの選択の邪魔をするな」ということを改めて思ったし、我が子が自分で居場所を選ぶ力を蓄える手助けは惜しみなくしなければいけないなと改めて思いました。死人みたいな顔で当たり前を生きるなら少し人と違っても自分らしく生きてほしい。
そして繰り返しになるけど、これは大人が観るべき映画です。
余談
考えてみれば監督である原恵一の名前を覚えた『クレヨンしんちゃん/モーレツ!オトナ帝国の逆襲』も、大人たちの身勝手な過去へのノスタルジアが未来を閉ざす物語だった。しんのすけは「大人になりたい」と言い、ひろしは自分の靴の臭いで大人になった自分の今を思い出す。
まずは大人が自分を肯定して幸せにならないと未来が消える。