エスパニョール選手寮生活日記[再編]-始まりはフィデウア
【目指せ!ドラマ化】
「自分、ライターなんだったら、エスパニョールの選手寮で暮らしてみない?面白いと思うよ」
そんな一言から、その生活は始まった。
2004年。東京で3年間、編集者として働いた後、24歳の私はフリーライターになった。
知り合いから回してもらった仕事をしつつ、EURO2004、コパ・アメリカ2004ペルー、アテネ五輪を取材。その後、バルセロナへ。知人が紹介してくれたメールマガジンからアポを取った、高松さん(一応仮称で行く)と初めて会った日の会話だ。
エスパニョールとは、スペインサッカー リーガ・エスパニョーラ1部の強豪クラブのひとつ。そのクラブの選手寮(スペイン語で「レジデンシア」)で暮らしてみないか、という提案だった。高松さん的には、ただの面白半分である。
振返れば、4か月程度の生活だった。
でも、未来のスタープレイヤー達との共同生活は、おもしろかったり、むかついたり、時には妙に考えさせられたり。無意味にタトゥー流行ってたり。
たぶん、もう一度生きても、二度と同じ体験はできないものだったんじゃないかと思う。
引っ越し
9月1日、ドイツ ベルリンの友人宅を後にして、バルセロナへ移動した。到着初日は、適当に宿を探して宿泊。そのころ、1泊20ユーロを目安にしていたので、町の中心地ランブラス通りの小さなホテルに泊まった。
エレベーターがなかったので、2階のレセプションまで荷物を持って行くのが大変だったことを覚えている。
翌日、高松さんに会いに行った。彼は、サッカーチームの監督を目指してバルセロナへ移住してきた人。指導をする傍ら、バルセロナのグッズ販売やソシオ会員登録を手掛けていた。
FCバルセロナの本拠地カンプ・ノウから、公園を挟んで目の前。そこにオフィスがあった。行くと昼飯を食いに行こうと誘われた。
当日は月曜日、日替わりランチがフィデウア(焼きそばパエリア)で、やたらおいしかったことを覚えている。
その時の会話で、自分の来歴などを話した。そして、高松さんから「選手寮で暮らしてみないか」と言われたのである。
当時は、スペイン語も知識ゼロ。数字さえ全く知らない状態だった。ただ、「よし!バルセロナに2年住もう」と思ってやって来たスペイン。そりゃ、さすがの私だって、物怖じして返答にこまっ・・・・
「あぁ、おもしろそうっすね、いいっすよ(鼻ホジホジ)」
ということで、何も考えず二つ返事でOKしてみた。いや、実際に鼻はほじってないが、それぐらい当時は能天気だったのである。
それから2週間、選手寮での生活がスタートする。
ただ、その時はまだ知らなかったのだ。門限が夜の11時だということを…。