ライター守本●インタビュー取材実績2000件以上(主にスポーツ)

守本和宏。本職はスポーツ系WEBの企画・コンテンツ制作・運用/編集者・ライター。オプションでカメラマンやデザイナー。コーディング・動画も。2004-2008までバルセロナ在住サッカーライター。一時エスパニョール選手寮に住んでたら知り合いがクラシコに出る不思議|ナノ・クリエイト代表

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守本和宏。本職はスポーツ系WEBの企画・コンテンツ制作・運用/編集者・ライター。オプションでカメラマンやデザイナー。コーディング・動画も。2004-2008までバルセロナ在住サッカーライター。一時エスパニョール選手寮に住んでたら知り合いがクラシコに出る不思議|ナノ・クリエイト代表

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中村憲剛に言われた“一緒に獲ったMVP”。この道を生きて良かったと思えた瞬間

JリーグMVPのトロフィーを持つ僕。 その隣で中村憲剛選手は、ボソッと、自然に言った。 「このMVPも、守本さんと一緒に獲ったようなもんだ」と。 自分が生きてきた人生に意味はあるのか。 選んだ道に間違いはなかったのか。 きっと、多くの人はそんな不安と共に生きていると思う。 私もその一人だった。だが、明確に 「この人生を生きてきて良かった」と思えた日がある。 その出来事は、36歳と11か月目に起きた。 中村憲剛選手から直接言われた、その言葉を聞いた時だった。 ◆中村憲

    • お年玉で買ったマンUのユニより、大事なもの

      マンチェスター・ユナイテッド所属の現役選手にインタビューしました 中2の冬、お年玉で マンチェスター・ユナイテッドの 長袖ユニホームを買った。 カントナ『7』のシャツは、自分にとって 海外サッカーの道に入る、最初の思い出になった。 その後もベッカムを見たいと思って、 ユーロ2000に現地に見に行って、 それがサッカーライターを始める きっかけになったり。 結局スペインに住んだけど、 マンチェスター・ユナイテッドは自分にとって、 ルーツを作ってくれたクラブのひとつである。

      • W杯の写真、個人で購入することにしました。W杯撮影36年の赤木さん、ラストダンス

        カメラマンの赤木真二さんは、 Numberの表紙など何度も撮っているプロ中のプロ。 なんと、W杯取材は1986年から!(36年前?すご…)。 今回のW杯でも『8回以上のW杯取材者対象』で FIFAから表彰された一人。 ロナウド(元ブラジル代表)との記念写真も 撮ってもらえる、 簡単に言うと”気のいいおじさん”です。 赤木さんとは、昔からFIFA・UEFAの大会取材時、 一緒にご飯を食べさせてもらったり、 ホテルを一緒させてもらったりしてきた大先輩。 若かりし頃の自分にとって

        • セビージャ・ダービー・クエスト~中西さんの大冒険~第二章/エスパニョール選手寮生活日記 名作選

          ◆VOL.1より続く KAZUたち は ベティスのスタジアム に行くために バス に乗った KAZUたち は バス を降りた ~チャラらららららら(戦闘シーン)~ 大量のベティコ が あらわれた。ベティコたち は 酒を飲んでうろうろしている ベティコA は 大型のゴミ箱を 引きずりまわした ベティコB は メラ を唱えたっぽい感じでゴミ箱に火を放った。 そのゴミ箱 に 火がついた。ゴミ箱 は 燃えている  武装警官 と 騎馬警官 が 遠くから牽制している 遠くの

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          セビージャ・ダービー・クエスト~中西さんの大冒険~第一章/エスパニョール選手寮生活日記 名作選

          もうひとりのKAZU 「今回のセビージャダービーはCL出場権を賭けた命の戦いじゃ。KAZU と 中西さん よ。セビージャまで行って現地を確かめてくるのじゃ」 西暦2005年5月7日。 世界一危険と言われるセビージャダービーを求めて、 KAZU と 中西さん はスペインのバルセロナから旅立った。 KAZUたち は バルセロナの空港  へ行って Vueling の飛行機に乗った。 運転手 は かなり下手 だった。 飛行機は かなりゆれている 乗客たち も 不安がっている。

          セビージャ・ダービー・クエスト~中西さんの大冒険~第一章/エスパニョール選手寮生活日記 名作選

          僕らのオウンドメディアが誰かの人生を変えた時

          とある日、会社に連絡が入った。 「御社で編集された、演劇○○の動画を放送で使わせてくれませんか」 僕たちの会社でやっているメディア「エンタステージ」https://enterstage.jp/ 。その問い合わせ窓口から、新潟のテレビ局の方がコンタクトしてきてくれたものだった。 ここでひとつの疑問が沸く。 「取材の素材は勝手な二次利用が禁じられているので、演劇の権利元に問い合わせたほうがいいんじゃないでしょうか?」 「ほかにも同じ公演の映像がありますが、なぜうちの動画な

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          2020年、僕は決めた。日本一の原稿を死ぬまで書くと。

          2020年、僕は決めた、日本一の原稿を死ぬまで書くと。 あの時まで僕は、やるだけのことはやっている。 ベストを尽くしている。 そう思っていた。 いや、そう思いたかっただけなんだと思う。 今年、あのプレゼンで負けるまでは。 年月の積み重ねの中で今まで、努力をしてきた方だと思っていた。 やれるだけのことをやっていると思っていた。 2004年にフリーライターになって、 高校生の時から夢見ていたサッカーライターになった。 スペインのバルセロナに住み始め、そこから4年。 ライタ

          2020年、僕は決めた。日本一の原稿を死ぬまで書くと。

          夢は無形で自由。プロサッカー選手候補約30人と暮らし感じたこと ‐エスパニョール選手寮生活日記 最終回から15年後

          ◆別れは突然に2004年9月から始まった、サッカースぺインリーグ1部、エスパニヨール選手寮の子どもたち(主に18歳以下)との共同生活。楽しい日々は続いたが、突然に別れの時はやってきた。 知り合いのマンションの部屋に空きが出て、そこに僕が変わって住むことになったのだ。選手寮での生活も、3か月が過ぎようとしていたころだった。 スペインのサッカークラブは、クリスマス前後から休暇に入る。子どもたちも里帰りし、人がいなくなったタイミングでの引っ越し。年末、いそいそと荷物をまとめて(

          夢は無形で自由。プロサッカー選手候補約30人と暮らし感じたこと ‐エスパニョール選手寮生活日記 最終回から15年後

          守本 和宏|プロフィール

          今年、「仕事でこんなに泣くのか」というほど泣きました。 守本和宏です。24歳でバルセロナに移住して4年間⚽️サッカーライター兼編集者として活動し、年商1200万円ぐらいまでいって帰国しました。 そして2020年、社長5年目の40歳。 ”自分はこんなにこの仕事を好きだったのか”と、気付くぐらい泣きました。周りがどれほど僕を信頼し期待してくれていたか、改めて知ったからです。 ✒最近の執筆歴 📝寄稿媒体歴 💻WEB制作歴 👨‍💻実績・やってきこと◆実績◆ ビジネス:生命保険の

          旅立ち‐エスパニョール選手寮生活日記 最終回

          寮に住んでいるこの期間の間にいろいろなものを得た。寮を出ることにした。理由はいくつかある。 門限が11時とか、トイレは基本的に流さない(小の方だけね)とか、4人部屋のドミトリーなのに家賃高い(これが本当の理由)とか。 物書きとしての経験として、この寮を出るのは惜しいとは思う。普通に生きてたら間違いなくできない経験だったから。 でも、もうすでに選手のみんなは、街やグランドで会うと「KAZU」と声をかけてきてくれる。 私は寮を出ても、毎週末はエスパニョールのグランドに試合を

          旅立ち‐エスパニョール選手寮生活日記 最終回

          チネが肩の手術をした ‐エスパニョール選手寮生活日記55

          数日前、チネが言ってきた。 「KAZU、オレ明日手術があるぞ」 しばらく前に書いたが、フベニールAの正GKチネは肩を怪我している。 実は最近「チネの肩は結構大変らしい」ということを聞いて、心配していたのだが、いきなり言われたから素直にビックリした。 手術から4日後、チネが部屋に帰ってきた。 なんというか、いや、ホントになんていうんだろう。 ギブスじゃないんだけど、肩から右手にかけて包帯で固定してあって、その包帯はお腹のところを2周ぐらいしている青色のサポーターとくっつ

          チネが肩の手術をした ‐エスパニョール選手寮生活日記55

          子供たちへのクリスマスプレゼント‐エスパニョール選手寮生活日記54

          12月22日。 クリスマスも近づき、そろそろエスパニョール寮の選手たちは、各自の家に帰っていく。 寮から続々と人がいなくなっているわけで。 エスパニョールBの年上の選手達は、年末に練習があるわけだが、それより下の年代の子は年明けまで実家でのんびりするようだ。 私は毎試合、写真を70枚ぐらい撮っている。 一応、極力全員分の写真を撮ってあげて、今シーズンの最後にみんなにあげようと思っている。昨日の晩、ミゲルやダビッドが言ってきた。 「クリスマスに帰るから、親に写真を見せたい

          子供たちへのクリスマスプレゼント‐エスパニョール選手寮生活日記54

          クリスマスには丸太の人形のナニが・・・‐エスパニョール選手寮生活日記53

          バルセロナにサンタクロースは来ない。 サンタクロースのことは、こっちでは「パパ・ノエル」と呼ばれ、単なるキャラクターの一人になっている。 まぁ、といってもいろんなとこにサンタさんの人形はあるわけなのだが。 それよりも、1月5日夜にやってくるという東方の三賢王(っていうのかな?)っていう人たちが、キリストにしたようにプレゼントをくれる、っていうのがメジャーな習慣らしい。 そのスペインのNavidad(ナビダッ)=クリスマスでは、丸太のお化けがウ○コをして、それがプレゼン

          クリスマスには丸太の人形のナニが・・・‐エスパニョール選手寮生活日記53

          クリスマス夕食会‐エスパニョール選手寮生活日記52

          毎年、エスパニョール寮で行われるクリスマス夕食会。 寮には、その夕食会の際に撮影された写真が、何年分か貼り出してある。 夕食会には、寮で暮らしている選手達は全員出席。 クラブの会長「ダニ」さんをはじめ、クラブのVIPのみなさんもやって来る(エスパニョールの以前のユニホームの胸に入っていた「DANI」の文字。あれは会長が運営している缶詰メーカーの会社で、その社長さんが「ダニ」さん、というわけ) 写真には、以前この寮に住んでいて、今はエスパニョールBでプレーしている選手の姿

          クリスマス夕食会‐エスパニョール選手寮生活日記52

          オレ、いじめられてる?‐エスパニョール選手寮生活日記51

          クリスマスまで、あと一週間。 街のお店にもキレイなイルミネーションが飾られている。 エスパニョール選手寮に入った当初、 「ケ・パッサ・ティオ(訳:お前、調子はどうだ!)」 という、親しい仲間同士で交わす挨拶を 「ケ・パッサ・イヨ(訳:ワタシ ハ ドウシマシタカ?)」 と間違い、しばらくみんなから「ケ・パッサ・イヨ」と言われ続けた私であったが、最近は違う挨拶にランクアップ(?)している。 「ティオ、ケ・ディーセ」 ティオは多分、「HEY!」みたいな若者の挨拶である。(

          オレ、いじめられてる?‐エスパニョール選手寮生活日記51

          スペインで日本人が坊主にすると「クレヨンしんちゃん」とからかわれる話‐エスパニョール選手寮生活日記㊿

          日本を出て6ヶ月が経った。 地元の散髪屋さんで1000円払って髪を切って以来、伸ばし放題だった髪の毛を切った。 坊主にした。 基本的に伸ばしては坊主、伸ばしては坊主、というサイクルなのだが、周りの反応を見るのが面白い。 いきなりロン毛から坊主に変ったもんだから、子供達がからかってくる。 「お前、チンチャンだ、チンチャン、チンチャン」 「チンチャン????」 辞書にも載ってない。 調べてみた。 「クレヨンしんちゃん」だった。 そりゃ載ってなくて当然だ。 スペインで

          スペインで日本人が坊主にすると「クレヨンしんちゃん」とからかわれる話‐エスパニョール選手寮生活日記㊿