「ざまあみろ」という気持ちなったら思い出してしてほしい。
「他人の不幸は蜜の味」という気持ちは
正しい感情とは思えないないとわかっているのですが
密かに「ざまあみろ」と思ってしまう。
そんな、あさましい私がいます。
自分の中に、なんとあさましい感情があるものかと
屈折した自分を恥じることがあります。
・好きではない標的に
・自分が手をくだすわけではなく
・決定的ではないような小さな不幸がくだった時に
「ざまあみろ」という感情になるそうです。
何とも悲しいことですが、
こんな気持ちになってしまう自分がします。
最近で言う「メシウマ」という感情でしょう。
誰しもにある感情ですが、
この感情が沸き上がった時に思い出してほしい。
これは「サインだ」と。
この他人の不幸を喜んでいる自分がいるということは、
裏を返せば「自分が望んでいる」ということなのです。
「何が、自分のありたい姿なのか」を
考えるいいきっかけとなるのです。
なので、恥じるのではなく
自分自身の、ありたい姿を考えるいいきっかけだという
サインなのだと、思い出しましょう。
自分の人生は自分で変えるしかありません。
憂さ晴らしは、あなたの人生ではないから。
なんしか、カッコいい大人になろう。
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