haveではなくbeでの存在証明
皆さん、お久しぶりです。
zoéです。
約2ヶ月間のお休みを経て、本日よりnoteを再開しました。といっても、その間も少しずつ書いてはいたのですが…。
たまたまこの記事を読んでくださった皆さん、再開に際して少しだけ私にお付き合いいただけたらと思います。よろしくお願いします。
これまでも定期的にnoteの休止期間を設けていましたが、今回はnoteの向き合い方についてよく考えた期間でもありました。
まず私はnoteのアプリ自体をスマホから消しました。あれば通知などを気にしてしまうからです。わざとめんどくさい方法でアクセスして、距離を置きながら過ごしていました。
あとは規則正しい生活を心がけ、7〜8時間の睡眠を確保することを目標にしました。そのためには無駄な時間を使っている暇などなくて(笑)。私の最近の生活の中で最も無駄な時間だったあるSNSアプリも消去しました。
空いた時間で本を読んだり、ラジオを聞いたり、ヨガをしたりとスマホ自体から距離を置くように努めました。
特に読書は心の支えになって、気になる本を可能な限り図書館で借りて読みました。
たくさん読んだ中でこの本は特に興味深く、何日もかけてじっくり読みました。
この本を読みながら、私がなぜ時々発作のようにnoteで苦しくなるかがわかるような章がありました。
私は高い知性や学力、素敵な家族や高価なもの、お金を一つも持っていません。それなのに自分を何かを持っている人間に見せようとしてnoteの中で必死に頑張っていました。
さらに元来お人好しなのもあり、人の「持っている」話を真正面から見たり聞いたりすることで、次第に疲弊していったのだと思います。これは相手が悪いのではなく、疲弊するまで耳を傾けたり見ていた私が悪いのですが…。
ご承知の通り私は何も持っていない人間だけれど、自分はこんな人、つまりhaveでなくbeで語っていけば、noteもそんなに辛くないかなと思っています。
一方でそこまでして自分の存在を証明したいのかとも考えました。苦しくなるのになぜ続けるかと。
しかしたとえ誰かがこのnoteを素通りしたとしても、自分のことは少しでもnoteに記したいという強い思いがあったのです。
話は変わりますが、この数ヶ月時間をかけてヨガをしています。
それは朝だったり夜寝る前だったり。
ヨガは身体的な効能はもちろん、精神面では『今ここ』に集中でき、歪んだ自分軸をまっすぐに整える効果があります。ヨガのおかげでだいぶ軸が真っ直ぐに整ってきました。
これからは記事を書くことにもあまり気負わず、書きたい時に書いて投稿していこうと思います。もしご興味があったらまたお付き合いくだされば幸いです。
zoé