自分の最期くらい
先週とても不思議な夢を見た。
私が何もないがらんとした部屋のベッドに長坐位になっている。
どうやらもう治る見込みのない病のようで、余命も数ヶ月のようだった。年齢は今の私より少しいったくらいだろうか?
夢の中の私は非常に穏やかな表情で、「いろいろな後始末は済んでいるから、あとは迎えを待つのみだ。とにかく辛くないようにしてください。」と言っていた。おそらく沢山の葛藤を乗り越えてたどり着いた境地だったのだろう。
そして少しでも私の人生を知ってもらうためにこのnoteを共有してほしい…と誰かにお願いしていたのである。生きていた証とでも言うべきか。
これを読めば私の考えていたこと、人生ががわかるようになっている。
私が死んだ後一年くらいは残しておいてほしいが、その後は誰かに頼んで抹消してほしいと言っていた。
私のことだ。
亡くなるその日の記事も準備していて、公開してもらえるような手筈をちゃんと整えていた。
死ぬ時は物質的なものは何も持っていけないので、極力ものを減らして生活しているようだった。その方が後片付けをする人たちが楽だろうしという考えからだろう。
私には何かものを残してあげたい子供や家族や友達がいない。おそらくもう二度と故郷に帰ることもないだろう。ただ関わりのあった人たちの中に思い出としてちょっとだけ残ればいい。
寂しい人だと思われるかもしれないが、そうやって生まれたように人は死んでいくのだと夢の中で悟っていた。
そこで目が覚めた。
不思議な夢をしばらく引きずり、悲しいんだけどスッキリした不思議な感覚。きっとそのようになるのだなぁと確信があった。
以前ヒプノセラピーという退行催眠療法を受けた時、前世も見えたが年齢を重ねた自分の姿も私にははっきり見えた。
天国への階段を登り、「今回はどんな人生でしたか?」と問われる。
「いろいろあったけど、いい人生で幸せでした。」と年老いた私は言っていた。きっとそうなるだろう。
つい先日「あなたの職業人としての夢は何ですか?」と質問をされた。
即座に「ありません」と答えた。何かになりたい、これをしたいという願望が今はない。それはもうすでに成し遂げた。
強いていうならと前置きをして、「人生の最後に幸せだった、いい人生だったと思いながら死んでいくことです。そのために毎日を丁寧に生きていこうと思います。」と答えた。
死が怖くないわけではない。
出来るだけ健康で良い時間を過ごしたいと思っている。ただ人生には何が起こるかわからない。
これまでの経験上どうしても避けられないことがあった時、そこで肝が据わるところが私にはあるので、今回の夢はそういう夢だったのだろう。
幸い私は今とても元気で、これまで人生の中で1番穏やかに過ごすことができている。
自分の人生でこんなに穏やかな日々が訪れるとは思ってもみなかった。「あなたはドラマチックな人生を自ら選んで生まれてきた」と言われるくらい、以前は色々あったのに。
だが今はとても平和だ。
細々としたことは起こっているけど、1日を通して何もビッグイベントがない。
地元の海岸。朝早くに散歩に出掛けて撮影した。波が非常に穏やかで、湖のようだと感じた。今の私の心を表すならこれだと思う。
このnoteではかなりプライベートなことや私の感情の浮き沈み、好きなことなどを書いている。
もし私が死ぬ最期の瞬間までこのnoteを書き続けることができるならば、私が親しい人たちに残せる唯一の【もの】なのではないかと思っている。