語学の達人
私の知り合いで日本語を自由自在に操る外国人が2人いる。
ここでいう「操る」とは聞く・話すだけでなく、読み書きも自由にこなすレベルのことだ。
一人はアメリカ人の元同僚。もう一人はイタリア語学校に通っていた時の中国人クラスメートだ。2人とも日本で生まれ育ったわけではない。努力家であることに加え、地頭も良いのだろう。
私は都内のイタリア語学校に3か月通っていたことがある。仕事上少しだけ習得が必要だったためだが、それも4年前の話。そこで学んだことはほとんど頭から抜け落ちてしまった(食べ物など断片的な単語は今でもでてくるので全く無駄というわけではないが)。
英語に関していうと、アメリカに留学していたので、話せないことはないし、書くこともできるけれど、ネイティブのレベルには程遠い。義務教育から数えると35年以上は学習しているのに、なぜ彼らのレベルに至らないのか。
そもそも語学センスがない。
私は、語学を学ぶのは大好きだけれど、センスがあるかどうかと聞かれると、ない。
小学生のころからNHKテレビの語学番組を「スペイン語」「ロシア語」「ドイツ語」「フランス語」と毎日、観ていたのだが、そこから進展することはなかった。大学時代の第2外国語であったフランス語の成績も普通。
英語も勉強に費やした時間に対して考えると、そこまで流ちょうではない。
英語コンプレックス?
私の友人の中には、アメリカで幼少期を過ごし、教育を受けた人達が何人かいる。流ちょうに話せるだけでなく、アイビーリーグを卒業し、日本人というより、国際人として世界で活躍しているエリートだ。
大学まで日本で生活していた自分とは、スタートラインで次元が違うな、と羨ましく思っていた時期もあった。
それでも、前述の外国人の日本語を聞くと、やはり、それは言い訳に過ぎない、と反省する。
長く海外にいればよいというわけではない。実際、私の日本人の友人にも、海外留学は10カ月程度なのに、ネイティブのような美しい英語を話す人もいる。韓国に遊びに行ったときに出会った日本語ガイドさんは、日本に一度も訪れたことがないにも関わらず、流ちょうな日本語を話していた。
プライドが高い?
日本人の英語力はグローバル水準では低いとされている。(経済格差の大きな新興国や途上国と違って)日本では海外に移住しなくても、一定の生活水準を確保できるため、英語を必死に習得する必要がないからだ、という人もいる。
そして、英語で話すのが恥ずかしい、と間違いを恐れる人も多いとも聞く。
そうした羞恥心によって、英語でのアウトプットが減り、試験が得意な人ほど、間違いを恐れ、会話ができなくなると言われている。
非英語圏の人たちは文法のミスなど気にせず、しゃべりたいことをドンドン話すので、上達も早い印象だ。
やはり、努力不足?
私の場合は、語学のセンスのなさに加え、やはり努力が足りていないように感じる。
以前の記事で、「1000時間チャレンジ」について書いた。
『一つの分野で1万時間費やしたらその道で一流になれる。1000時間だと上級者になれる』という研究データから、英語を徹底的に勉強しようと、平日は帰宅後に1,2時間、週末は6、7時間、ずっと英語漬けになり、ルーティンを続けたのだが、その時は。英語脳になっていたためか、物事を英語で考えることが多かった。
上述の2人の日本語上級者たちがやっていたことを垣間見ると、同僚のアメリカ人は(日本語の)会話の中で少しでも知らない言い回しがあるとすぐ確認して、メモをとっていた。
日本語がペラペラの中国人のクラスメートは、独り言も含め、徹底的にその言語に浸るとのことだった。ちなみに彼は英語、フランス語もペラペラだ。
note大学英語部の共同運営マガジンを再開し、部活動の部長になったので、これを機に、英語を楽しみながらも、一時挫折していた1000時間チャレンジに再びトライしようかと考えている。
是非一緒に英語を楽しみながら習得しませんか?