激情家って良いこと?悪いこと?
私の記事を読んでくれてるnoterさんだったら、察してもらえると思うが、私はかなり激情家だ。
喜怒哀楽がはっきりしていて、感情表現も豊か(?)
大した話でなくても、頭の中ではきちんとドラマ化されている、笑。
そんな私だが、激情家でいることにほとほと疲れている。
好きな人(映画の登場人物であっても!)に共感し、一緒に喜んだり、泣いたりする。
何かに夢中になると情熱的にのめり込むタイプだし、思い込みも激しい。
逆に、ネガティブなことが起きると、気持ちを立て直すのにも時間がかかり、気づいたら冬眠状態だ、笑。
結果的に、いろんなことに無駄にエネルギーを使っている気がする。
激情家でいることで何か良いことなんてあっただろうか。
あ、このあり余った感情のおかげで、自分の別世界が広がり、記事が書けているのかもしれない。
過去記事をみても、心の波動とnoterさんからいただいたスキの数はリンクしているようにもみえる。
心が安定していると、特定のトピックに逃げがちだし、そもそも文章を書く手も止まる。
感情の浮き沈みと引き換えにnoterのみなさんからスキをいただいているとさえ、思えてくる。
そもそも激情家って長所なの?短所なの?
人からどう思われているのかはわからないけど、エネルギーの消耗からみると、自分的にはマイナスの影響の方が多いと感じている。「どうしてもっと楽に生きられないんだろう」と思うことも少なからずある。
この性格というか特性はもう少し抑えられないものか。
解決策の一つとして「バッティングセンターやゴルフなどで感情を発散するのも良い」という指摘もあるが、うーん、ちょっと違うかな。
今は、この感情の波を言語化することでnoteに投稿することしか、解決策は思いつかない。
激情家の性格を変えられるかはわからないけど、この感情のエネルギーを自分なりにプラスに転換していけたらいいな、そう思う日々だ。