閉塞感から脱却できるのか
この記事がnoteにおいて43本目だ。さすがに私の記事すべてに目を通してくださっているnoterさんはいないと思うが、自分としては、全体を通して、いくつかの言葉の乱用が目につく。
「閉塞感」「失恋」「セラピー」「自分との対話」「執着」「熱病」といったワードだ。こうして列挙していくと、自分の人生について考え直さなければならないと痛感する、笑。
今回は、「閉塞感」について、真剣に考えてみたい。
私は現在、日本の一般企業で働いている。自由に人にあって取材し、記事を書いていた記者時代と比べれば、やはり閉塞感を感じざるを得ない。
個人プレイ的な要素よりも、周りとの協調性を求められるのは、日本企業では普通であり、私の会社に限ったことではないだろう。
とはいえ、新しい発想やドラスティックな変化が(諸手を挙げて)歓迎されることのない職場風土に対し、ずっと窮屈さを感じていた。
完全なる一般論だが、日本では集合体(組織)の中でどのように溶け込んで、うまくやっていくかが重要。一方、海外だと自分の特徴・強みがまず先にきて、それらが組織にどう活かされるかが重視される。
(昨今、日本の企業も欧米型の「個を重視する姿勢」にシフトしつつあるけれど)。
ここでふと思ったのは、アメリカ人は何か困難な出来事に直面した時や人生の転換期に、”soul-searching(自分探し)” という言葉を使うことだ。やはり、自分の人生は自分でデザインするという概念がより強いのではないか。一方、日本にいると、人生設計から職場での言動まで、他の人に合わせ、同調してしまうことが多々あるのではないか。その結果、同じような人たちの集合体ができ、閉塞感につながっていくのでは、と思う。
*私の個人的な見解です。
ここ何年か感じている閉塞感は、環境を変えない限り、消えることはないだろう。とはいえ、すべて自分で選択した結果でもある。
「閉塞感」を打破するために、自分探しの旅にでもでようかな、なんて考える。職場の人からは「大丈夫?」と心配されそうだけど。
https://twitter.com/ATF_TOKYO
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?