つぶやきの先にあるものー自己表現?承認欲求?
クリエイターの皆さんが、記事を執筆される理由は何だろうか。書くことが好きという前提で、何かの情報を発信すること、自身の経験の記録を共有すること、もしくは自分を表現する手段として文字にすること等、さまざまなワケがあるだろう(収益化が目的かもしれない)。
私にとって書くことは、noteを始めた頃はセラピー的な要素があったが、次第に自分を表現する手段となった。では、世の中に発信するのはなぜか。
独り言的なつぶやきも含め、記事を投稿する理由って何だろう、と考えてみる。
やはり、私は、自分の考えや思いを共有し、共感してもらえたら嬉しいから投稿する。
そこに、「認めてほしい」「褒められたい」といった承認欲求は含まれているだろうか。
自己顕示欲が強いと自覚しているので、私に限って言うと、承認欲求もそこに含まれる。
一方、記事を通して、何かの情報を提供したり、自分を表現したいだけなので「スゴイ!」と思われなくても結構です、というクリエイターさんもいるかもしれない。
SNSによって、有名・無名問わずに誰もが、有益な情報から個人的なつぶやきまで簡単に発信できる時代だ。そして、誰もが、インフルエンサーになり得る時代でもある。
前にも書いたが、私はそもそも、無数の人たちに、自身の居場所や趣味、つぶやきを発信することに対しては、懐疑的だった。自身では自己顕示欲が強いと言いながらも、そのような発信に需要などあるのだろうか、と思っていたのだ。
考えてみれば、Twitter(現X)自体、人のつぶやきがここまでビジネスになるのか、と当初は思った人もいたに違いない(情報交換やネットワークの構築するプラットフォームは他にもたくさんあるが、手軽さが良かったのかな)。
ストレートに感情を表現する欧米人と違い、自分の思いを伝えるのが比較的苦手とされる日本でも、多くの人がXだったり、インスタで自分を表現している。
これってやっぱり承認欲求だろうか?
noteに記事を書いて、スキをもらうたびに、承認欲求が満たされる私。
SNSがなければ、書くことでの自己表現の場はどうなっていたのだろう、承認欲求も満たされることなく、イライラが募っていたのではないか、なんて思いを巡らし、日々noteに投稿している。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?