大砲巨艦主義 カッコいい自衛隊に気をつけろ5 愛国者学園物語147
ジェフは続けた。
耳に聞こえが良い情報、見た目が良い兵士たちのイメージ。勝利のニュース。それらだけを追い求めた結果、旧日本軍は大打撃を受け、多くの将兵が戦死した。しかも、死者の多くは敵と戦って死んだのではなく、飢えと病に倒れたことは事実である。なぜ彼らは戦場で飢えたのか。それは旧日本軍が食糧や物資の補給を軽視していたからだ。
旧日本軍の問題点を検討した名著「失敗の本質」や、あの軍隊の情報参謀だった堀栄三による「大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇」を読んだ人はどれくらい、いるだろうか。これら力作が指摘するのは、苦い現実であった。
(中略)
それは、現人神(あらひとがみ=生きている神=天皇)と言われた天皇に率いられた神の軍隊、あるいは皇軍を自称した旧日本軍にあってはならない敗北であろう。そして、日本軍に勝利した米軍は決して戦争の神などではなく、同じ人間であった。いくつかの戦いでは、旧日本軍の奮闘に押されて米軍は苦戦もしていた。それなのに、日本はあれほどの敗北を喫し、結果、日本の国土は焼け野原と称されるほど爆撃され、原爆投下を阻止出来ず、約300万人の日本人が死んだのだ。
驚くべきことに、日本政府は開戦前の1941年に、知性あふれる若き人々を集めて対米戦争のシミュレーションを行い、それが日本の敗北に終わるという結論を得ていたのだ。それなのに、日本は戦争に打って出た。猪瀬直樹の「昭和16年夏の敗戦」はその驚くべき事実をレポートしている。
(中略)
零戦の悲劇
日本は零戦を約1万機も製造したのに、どうして、米軍の爆撃機B-29の大編隊による、日本への空爆を阻止出来なかったのだろうか。その極端な例が、東京大空襲と広島、長崎への原爆の投下である。零戦は長距離飛行が出来、空中戦を可能にする運動性能に優れていたという評価がある一方で、敵の攻撃を防ぐ防弾装備などがない、あるいは弱いなどの欠点があった。米軍はそんな零戦に、「ワンショット・ライター」というニックネームをつけたのである。それは、一度の操作で点火するライターという意味なのだが、零戦の場合は、機銃で一撃するだけで、すぐに炎上する飛行機と言う意味である。もちろん、不名誉なニックネームであるが、零戦が炎上しやすい飛行機であることは事実であった。もし、零戦の防弾性能が優れ、防火対策がちゃんとしていたら、多くの操縦士が生き延びたことは想像に難くない。
大砲巨艦主義
日本には、そういう言葉がある。文字通りに解釈すれば、海軍の増強には巨大大砲を積んだ戦艦が必要なこと。皮肉で言えば、馬鹿でかい装備はあるが、小回りが効かず役に立たないことだと私は理解している。これは旧日本軍の巨大戦艦大和や武蔵について、それを批判した言葉であろう。それらは世界最大級の大砲を積んだ巨大戦艦であったが、敵軍の戦艦とほとんど戦わず、自らを動かす燃料にすらこと欠いた。そして最後は、無数の敵機に魚雷を撃ち込まれて沈没したのである。敵戦艦との大砲の撃ち合いではなく、魚雷にとどめを刺されたのだ。大和などの設計者や運用していた大本営は、軍艦と魚雷との戦いについて、どう考えていたのだろうか。
大和や武蔵は大き過ぎたのだ。そして、日本そのものを意味する大和という艦名も、立派すぎたのだ。だから、誰もそれが負けることを想像もしなかっただろうし、『大和は負けてはいけなかった』のだ。立派すぎた軍艦の悲劇であろう。これは現代社会に通じる教訓ではないだろうか。組織の手に余る装備、高価過ぎる装備。手間がかかりすぎる装備を廃棄したいが、誰もそれを口にしない組織。あるいは、前任者が偉すぎて、彼が残した『遺産』を処分出来ない組織。そういう例なら、どこにでもあるような気がする。
旧日本軍と当時の日本政府は、日本が米軍の攻撃に弱いことを知りながら、驚天動地の計画を立案していた。それが、巨大爆撃機「富嶽(ふがく)」である。富嶽は日本を離陸してからハワイを通過、米本土を横断しながら爆撃を繰り返す。そして太平洋を飛び超えて、友好国のドイツまで、一度も着陸しないで飛ぶという前代未聞の航空機であった。戦争末期で、戦略物資どころか日常生活にも支障をきたすような毎日。そんな日本にあって、米国のエンジンが4発のB29よりも大きく、エンジンが6つもある爆撃機を400機も作る計画が現実に進行していたのだ。もしそれが可能でも、米本土の防空網をどのように飛び越えるのか、対空砲火を避けるのか、私には見当もつかない。この計画はもちろん中止された。だが、これで事態の打開を図ろうとしていた人々がいたことに、私は驚きを隠せない。これも、大砲巨艦主義の一例であろう。
(中略)
21世紀の今、日本は果たしてあの当時の弱点を克服出来ているだろうか。自衛隊はその原型である旧日本軍の欠陥を引き継いではいないだろうか。私はこういう疑問を持つことを、自衛隊関係者に対して失礼だとは思わない。旧日本軍の軍人が自衛隊に入隊しており、自衛隊はその創設期において、旧軍の力を「借りた」ことは事実であった。もちろん、良い点を受け継いだのであろうが、悪い点も引き継がれたのではないかという、疑問は捨てきれない。
(中略)
今の日本では、右派つまり保守派、あるいは極右の日本人至上主義者たちが政権を握り、社会の指導者もその多くも、日本人とその文化を至上のものとする日本人至上主義に染まっている。そして彼らは日本の軍事力拡大にも力を注いでいる。それゆえ、日本が原子力潜水艦を持つべきだとか、自衛隊を国防軍にして規模を拡大すべし、あるいは、日本も核武装すべきだなどと主張しているのだ。そして国民の多くも、それをなんとも思わず、平然と彼らに従っているのである。
(中略)
軍隊は国民の命を守るための組織であり、その存在について考えることは、国民の当然の権利である。民主主義国家では、政府や軍隊に対して自分の意見を主張するのが当然であり、それがあるべき国家と国民の姿であろう。
国民が軍隊の問題点を無視するか隠蔽(いんぺい)し、軍隊を過度に賛美すること。それは、かつて、戦争で大敗した国々や、現代にも存在する全体主義国家の国民を思わせる。
続く
これは小説です。零戦の生産機数などは、コトバンク、あるいは時事通信のウェブサイトにある零戦関連の記事を参考にした。