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小説は好き勝手に書いてはいけない
現実にある組織や人物を小説に書きこむことは難しい、私はそう思う。それは、自分で100%創作した世界を書く小説とは、異なる困難に直面することを意味するからだ。
100%創作した世界なら、自分の好きに書けるだろう。だが、現実に存在する人物や団体を書くとき、それをどのように小説に登場させるのかは大問題になるはずだ。私はプロの小説家ではないが、そういうことが起こるであろうことは理解できる。実在するのと同じ会社名や人物名を使って良いのか。
あるいは、それらを創作した名前に置き換えるのか。ソニーをサニーに、トヨタをトヨハタに、自民党を民自党にする。安倍総理を矢部総理に、石破茂(いしば・しげる)議員を石田優(ゆう、または、すぐる)議員などと置き換えるのは簡単だ。このように、キャラクターに、オリジナルの存在をすぐに連想できるような名前をつけたり、個人のプライバシーを盛り込んだ小説を書くことは、トラブルのもとになる可能性が高い。
かつて、ある小説家は、実在する女性をモデルにした登場人物を、その小説に書いた。しかし、これが、モデルの女性のプライバシー侵害や名誉毀損(めいよきそん)だ、などという理由で裁判になった。結果、最高裁で、出版差し止めと慰謝料の支払いを命じる判決が出て裁判は終わり、小説家は敗訴した。私は、この事件、柳美里(ゆう・みり)の「石に泳ぐ魚」事件について詳しいわけではない。これを読んだこともないし、読むつもりもない。その作家に関心がないからだ。文章の校閲に関する本を読んでいた時、私は偶然、この事件について知った。実在の人間や事件をモデルにすることの難しさについて、良い教材ではないかと思う。
小説家がある人物や事件について書きたいと思っても、その意志がその人物や事件の関係者を傷つけることになりかねない。これは重要なことだと思う。小説家の小説を書きたいという意志よりも、その対象になる人物の意志が優先するからだ。
小説家は好きなことを自由に書いてはいけないのだ。こう書くのは簡単だが、実に深い、悩ましい問題である。私も、教訓として、他山の石として、これを心に留めておきたいと思う。私の「愛国者学園物語」でも、組織や人物をどのように登場させるかは大問題なのだ。
では、ここで本題に移りたい。
私の小説に、自民党や安倍総理、それに石破議員は登場するのか、だ。
答えは、ノーである。では、どんな政党や政治家が出てくるのか?
それは、続きを読んでいただきたい。
参考
この事件や判例に関しては多くのページがある。
① プライバシー権 石に泳ぐ魚事件
肖像権に関する代表的判例 肖像権について考えよう
日本音楽事業者協会 2017
② 文学とプライバシー ⎯ 柳美里 著「石に泳ぐ魚」最高裁判決 ⎯
青柳武彦(GLOCOM主幹研究員)国際大学 2002
などを参考にした。
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