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美鈴の涙 愛国者学園物語 第229話
(2316字)
マイケル、アルマに続いて田端彩子の死は、美鈴の心を大きくえぐった。
そして、それは今、目の前にある危機であり、
自分にもその危機が迫っているという痛みを美鈴に与えるものだった。
(まさか、彩子さん殺害は、自分への当てつけなのでは? 日本人至上主義者の誰か、私をネット社会で散々中傷するような連中が、私の親友の彩子さんを殺すことで、私にダメージを与えようとしたんじゃ?)
美鈴は自分の感情が次第に高まり、体が熱くなるのを感じた。
そんな美鈴が泥沼にはまっているのを知り、桃子は母親として可能な限りのことをした。
信頼出来る家政婦に孫たちを任せ、上京して1週間ほど美鈴宅に滞在して身の回りの世話をしたのだった。自転車で長距離を走ることを趣味にしているせいか、もともと筋肉質で痩身(そうしん)の美鈴であったが、
今回の悲劇に直面してやつれてしまい、冗談を言う気にもなれなかった。
なにしろ、精神的な支えを三人も失ったのだから無理もない。美鈴は母親の支援に感謝しつつ、しばらく時間に流されるがままだった。
悲劇から1週間ほどして、ジェフから連絡が来た。事件直後に田端の死を悼み(いたみ)、美鈴を気遣う(きずかう)短いメールが来た時以来だった。ビデオリンクで話をしたいらしいが美鈴の都合を聞くものだった。美鈴は了解して、その時を待った。
ビデオのこちらとむこうで、二人は互いがやつれたままであることに内心驚いたが、それを口に出さずにいた。
用件はジェフが美鈴と少し話したいというだけのものだったが、それが深刻なものになるであろうことをジェフは覚悟していた。ふつうの挨拶が終わり、話が世間話から本題に入り、ついに、美鈴は自分の心のうちをさらけ出した。
「……今の日本は、日本人至上主義者がコントロールしてるのは、ジェフもご存知でしょう? 日本人至上主義に疑問を持ったら、殺されちゃいますよ。
問答無用で。日本が平和な国なんてウソなんですよ。みーんなウソ。みんな隠してただけ。
平和だ、対話が大事なんて大ウソよ、殺すしか答えがないんだわ。日本人同士の殺し合いですよ……」
(時間)
「私の子供たちは灰にされちゃいますよ。そしてそれを日本人至上主義者たちは喜んでやるんだわ。反日勢力は死ねって叫んでね……。私はただホライズンで働いているだけで、反日勢力じゃありません。それなのに……」
美鈴の寂しい泣き声が聞こえたあと、彼女の側からリンクがオフにされた。ジェフは自分の涙を拭ってから、顔を洗うために浴室に向かった。
その晩、ジェフはサントリー・オールドを飲んだ。日本に初めて行った時、仲良くなった日本人がバーで飲ませてくれたのが、この黒いボトルに入ったウイスキーだった。あれから、何年たったのだろう……。
美鈴の悲しみようを見て、ジェフの胸は張り裂けそうだった。
もし、美鈴が暗殺されるようなことがあれば、
それはホライズンに激震をもたらすだろう。ジェフはホライズンの代表として、その可能性も考えておかねばならなかった。
ホライズンには、かつて、紛争国で殺害されたり誘拐された社員が十人以上いた。だから、社員に高額な保険をかけるとか、危機管理会社のアドバイスを受け入れて警備体制を組むなど、出来る限りの方策を取った。東アフリカ某国で社員が誘拐されたときは、グリーンベレーだった男たちを組織して送り込み、ゲリラを殺して社員を奪還したこともあった。あるいは、社員の祖国で危機が発生したときは、別の国に引っ越しさせる手伝いもした。香港が中国の支配下に入った時は、希望する社員とその家族を北米に移住させたが、あれは好評だった……。
でも、今回の美鈴のケースは、これまでのどれにも当てはまらない気がする。日本は紛争国ではないから、武装した傭兵を送り込んで彼女をガードすることは出来ない。
日本の警察には日本人至上主義者がたくさんいるが、果たして、彼らは美鈴を守ってくれるのだろうか?
警察だから不偏不党(ふへんふとう)、自分の政治的・宗教的立場を仕事に持ちこまないで、仕事に邁進(まいしん)するなんて、忘れたほうがいい。
日本の警察には日本社会の縮図のようで、上司に媚びて(こびて)、その主義主張を真似ているうちに、上司のコピーになった人間がたくさんいる。最近も、日本人至上主義者である某警察官僚におもねって、その部下のノンキャリアたちが、仕事中に日本人至上主義や、神道や皇室の勉強会を公然と行っていることが、ニュースになった。それを報道したのは、ある海外メディアであり、記者クラブで警察と密着している日本のマスコミはそれを報道しなかったのだ、全く。
現場で苦労するノンキャリア警察官たちも、権力や社会問題を監視するはずのマスコミもそんなざまでは、どうなる? 上司の命令に逆らえない、時には疑問すら持てない警察のような組織では、もし上司が美鈴のような人間を嫌ったら? まともな捜査は期待出来ないかも。ありうるのは、彼女が殺されてから、通り一遍(いっぺん)の捜査をするだけだ。それを防ぐことなぞ、出来はしまい。脅迫があったぐらいで、彼女を守るために武装警官を派遣してもらうことはまず無理ではないか。
警察が頼りにならないのなら、我々ホライズンはどうする?
丸腰の警備員を雇って美鈴を警護させ、テロリストと化した日本人至上主義者と戦うのか? 警備員がいかに訓練されていても、テロリストの銃や爆弾には敵わない(かなわない)。文字通り、秒殺だ。
あのビデオ通話から数日後。出勤し始めた美鈴に、ジェフは再び通話した。
「あのね、美鈴、君に提案したいことがあるんだが……」
ジェフは美鈴がどう反応するか、その恐ろしさを抱えながら、それを述べた。
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