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靖国神社という踏み絵         愛国者学園物語170

「美鈴さん、自分自身の気持ちを大切になさい。

それはこの問題に限ったことではないけれど。どうしても嫌なものを無理して理解する必要はないし、私たちの会合も、無理して意見を一つにまとめる会じゃありませんよ」

「はい」
美鈴の声は小さかった。

「今日、私たちが話したことは、誰も話題にしないのかもしれません。だけど、もしそうなら、私たちがそれを考えればよい。そして、あなたがそれを書けばよいのだ。あなたは世界有数のメディアで働くジャーナリストじゃないですか。世界に影響力を持つ人間なんですよ」

美鈴はその言葉に呆然とした。
「やればいいんです。あなたにはそれが出来るんだから。ただ、それだけのことですよ……」

 ここまで言うと、西田は急にエネルギーが切れたように見えた。そして、彼が申し訳なさそうに、今日の会合をこれでお開きにしないかと提案したので、美鈴は思わず、ちょっと大きな声で、
「すみません! 長々と」
と言った。美鈴は自分の声が店員をどきりとさせたことに気がつき、少し顔を赤らめた。

西田は軽く頭を振って、
「気にしないで、今回は話題が多かった。今までで一番多くのことを話せた気がします。だから、牛みたいに反すうする時間がいりますね」
と言った。


 二人は次の会合の日を決めてから、店員たちの明るい声に送られて店を出た。秋葉原界隈の焼き鳥屋で会合を重ねること5回、毎回重い話題を俎上(そじょう)に載せるのだが、いつも帰り道は足が軽かった。そういう会合だった。


だが、美鈴と並んで歩く西田が思わぬことを言った。

「あと、1、2回ぐらいにしませんか」

美鈴はこれが延々と続くとは思っていなかったが、いざ、そう言われると寂しいものを感じた。美鈴は立ち止まり、困惑の表情を見せたが、相手の疲れた顔に向かって反対は出来なかった。そして、あと2回にすることを提案すると、西田は言った。

「もっと早く言うべきでした、すみません」

美鈴は
「いいえ、気にしないでください」
と返事をした。

駅の人混みの中に消えてゆく彼の背中が寂しく見えた。


 美鈴が帰宅してからそう時間が経たないうちに、iPhoneに西田から連絡が来た。美鈴の都合の良い時に、30分ほどネットで喋らないかというのだ。今日は長い話をしたが、もうちょっと話しておきたいことがあると、その内容が具体的に書いてあった。美鈴はすぐに返信した。そして、翌日の土曜日の夜8時を指定すると、向こうからもすぐ返事が来た。急な申し出が気になったけれども、今日が長い一日だったこと、そして、実に多くの話題を話したことを思い出し、美鈴は角瓶のウイスキーを少し飲んで眠った。翌日の晩、美鈴は早めに夕食を済ませて、その時を待った。

 ビデオ通話アプリに映った西田の姿は昨日と変わりなかった。つまりは体調が悪そうだということだ。それが気になったが、美鈴は今日の話題に集中するために、それを心の片隅に置いておくことにした。

 この夜の話題は靖国神社のことだった。

まずは、それに関連して、防衛大学校の学生による靖国行進について。横須賀の学校から歩いて東京まで行き、千鳥ケ淵戦没者墓苑と靖国神社をめぐるという、学生の自主的な活動だ。その行事に多くの学生が参加しているが、それに行かない学生はどれぐらいいるのか、と西田は思ったそうだ。あれに参加した学生はなぜ参加したのか、行かなかった学生はなぜ不参加だったのか知りたい。

 あの行事から感じたことは、やはり日本人は集団主義なのかということ。 仲間の大半が参加するから自分も参加する。
参加しないと立場が悪くなる。
だからみんなと同じことをする。

 防大の学生はそういう気持ちで靖国行進に参加したのだろうか。
みんながしているから、自分もする。
彼らはそういう集団主義に従う人間たちなのだろうか? 
それは赤信号、みんなで渡れば怖くないと同じ気持ちだ。

 国会議員たちの多くは「みんなで靖国神社に参拝する会」を作って、集団で参拝することが多い。そのような行動には個人個人の考えというものはあるのか? 集団で行くのは、一人一人で行って神社に手数をかけるよりも、多人数の方が良いからかもしれない。


 だが、それは、みんなに従うだけではないのか。
もしみんなが間違っていたとしたら? 
彼らはそれでも、みんながしていることを続けるのだろうか。

 彼らの行動はまるで踏み絵だ。みんながそれを踏むから自分も踏んでいるのでは? それとも、ただ純粋に戦没者の慰霊をしているだけだろうか。あるいは……?  制服を着て一人で出かけると、靖国神社に反対する左翼に囲まれるから、みんなで行くのか?

 西田はこういう話をした後、美鈴に話が抽象的であることを謝り、具体的な話にしようとしたが、上手くいかなかったことを付け加えた。美鈴が元気のない彼を励まそうと、気にしないように言うと、西田は少し嬉しそうな顔をした。

話は続く。

 私たちは防大生について詳しく知っているわけではない。

だから、靖国行進だけを見てその精神を語ることは、1本の木だけを見て広大な森を語るような拡大解釈なのかもしれない。その点には注意する必要はある。しかし、自衛隊の幹部になる若者たちが大挙して靖国神社に参拝するというのは、やはり気になることだ。

 日本人至上主義者たちは靖国行進を歓迎している。それに政治家の参拝も当然のこととしている。彼らは靖国に参拝することで祖国日本のために亡くなった英霊に感謝の念を捧げた、日本人なら靖国神社に参拝して当然だ、と言う。そして、参拝に反対する人々を反日勢力だと非難するのだ。

靖国神社は過去の戦争の戦没者を祀っている神社であるが、その一方で、明治・大正・昭和の軍国主義の象徴であり、戦犯も祀られていることは事実だ。政治家などのA級戦犯も

「昭和受難者」

という名で祀られている。

その言葉には、あの戦争への責任は感じられない。「受難者」なのだから、彼らは外国軍に処刑された可哀想な被害者という扱いなのだろう……。


そこで彼が沈黙したので、美鈴は冷たい言葉を放った。

「死ねば、それで免責になるわけじゃありません」

と。それを聞いた西田は、
「美鈴さんもなかなか言いますね」
と言ってニヤリと笑った。
「そうだ、死ねばそれで終わりじゃない。戦犯たちは死刑にされたが、それで終わりじゃない。彼らの存在は今の時代にも影響を与えてる」
「ええ。そうですね」


 美鈴は付け加えた。それは、防衛大学校の学生は自衛官として殉職したら、東京・市ヶ谷の防衛省の敷地内にある自衛隊殉職者慰霊碑ではなく、靖国神社に祀られることを望んでいるのか。そして遊就館(ゆうしゅうかん)や神社内で紹介されている戦没者のように、遺品や遺書が展示されるような人物になりたいのだろうか。そして、彼らは神として崇められることを望んでいるのかしら?

 美鈴の問いかけは続く。


続く 

これは小説です。

文中の西田という人物、以前は@川という名前でしたが変えました。

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