もしも本当に君が辛いなら
『もしも、、、もしもね。』
深夜2時に息子を抱き抱えながら話しかける。
難病の息子、連日連夜の謎の大発作が続いている。救急車を呼ばなければいけなかったレベルだと、翌日医者に言われるが、そんな状況が毎日のことなのだ。入院するとなんともないそうで、いまいちうまく伝わらない。
毎晩、人工呼吸器とモニターの音が鳴り響く。
当然、寝不足になるわけであって、思考回路は正常ではなくなっていく。
『もしも本当に辛かったら...生きているのが、辛くてどうしようもないんだったらね...』
発作がおさまった息子をギュッと抱きしめながら語りかける。息子は話せないし、言葉も多分理解できていない。
それでも続ける。
『その時は、、、
夢の中ででもいいから、、、
ママに教えてくれるかな?』
返事をしない息子の代わりに
シュコーッ、シュコーッと機械が無機質に音を立てる。
『そしたら、ママと2人でじいじのとこ、いこうね』
声を震わせ何を言っているんだと思うより先に、とめどない涙で思考が麻痺をする。滑稽だ。自分勝手にメソメソ泣きながら抱きしめる大人と、やっと眠れたのにギュッときつめに抱きしめられる息子。
それが昨日、、、今朝方のこと。
夢に出てきたらきっと
『抱きしめるのは苦しいからやめてくれ』
というに違いない、と今になれば思うのだけれど。
でも本当に夢に出てきて、話をしてくれたらどんなに救われるか。本音が、声が聞こえたら、どんなに幸せか。せめて一度「ママ」って呼んでくれたら、、、
たった2文字、それすら叶わぬ願い
現代の医療で生かされている息子は幸せかどうか、そんなの誰にもわからないし、答えなんて出ない。
でも日々息子を介護をしてて思うのは。
一瞬でも、1秒でも長く、苦しみから解放されてくれればいいなぁ、ということ。私ができる精一杯の素人の技術で、どうか彼が安らかな時を1秒でも長く過ごせますように。
いつかくるであろう別れの日も
息子の顔が穏やかであれば、私はきっと満たされる。どちらが先に行くかなんてわからないけれど、最期に見る息子の顔はどうか穏やかであって欲しい。
だから私は今日も息子の介護をする。
たった1人の、私の会話相手の。
時に落ち込み、時に涙を流しながら。
でも今日は明るいことを聞いてみようかな。
『もしも、、、もしもね。』
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