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「好きを仕事に」を叶えたかに見えた多忙な20代後半
ずいぶん間が空いてしまいました。
この記事の続きになります。
2000年代にはすでに「好き」を仕事にしよう、という価値観が生まれていました。
私はというと、まさに好きなことを仕事にできた、実現できた…と自負していました。きっと周囲からも「何ひとつ問題なく好きな仕事ができているラッキーな人」としか見えなかったでしょう。
仕事に没頭して、ときには遊びの誘いを断り、それなりの努力を積み重ねていたのは事実です。
が、今から思えば、実は「思考停止」状態だったかもしれません。
年長者からの『ギフト』
20代の頃は、周りの大人たちからの恩恵が本当に大きかったと思います。
「あなた美術と着物が好きなのよね?勉強になるから行ってきなさい」
と、気前よく歌舞伎のチケットをくださる方があらわれたり、
「堅苦しいこと考えないで!たくさん食べてくれるだけでいいの!」
と、お客さまに自力では行けないような高級な料理店に誘っていただいたり。
ちなみに、口に入れるだけで溶けるような柔らかいお肉(このニュアンス伝わるかな……)のお店だとか、手漉き和紙と毛筆のお品書きにはお値段が一切載っていないような、いわゆる一見さんお断りのお店もありました。
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仕事柄、接客や接遇が大事で自分も身につけなければと思っていたところに、スペシャルな学びの機会がやってきたのです。
2020年代の現在よりも、良い意味で見栄や文化を重んじるような空気が当時はありました。
バブルの残り香…とまではいきませんが、その頃はまだ羽振りの良い大人たちが数多くいたのです。
気前のいい大人たちの振る舞いや、年長者からの厚意を素直に受け取ることの大切さを、その頃に知りました。
「自分がこの人たちくらいの50代や60代になったら、同じように若い子たちの力になろう」
とも考えました。
決して、嫌味やお節介なしに、間違っても老害だなんて言われないように(笑)
受けた恩は別の形で誰かに、できれば私の後に続く若い人たちに返していこう、と。
女性としてのタスク?がいっぱい
![](https://assets.st-note.com/img/1679241076688-3GmgTn7tmT.jpg?width=1200)
20代半ばから後半にかけて、私は怒涛のように仕事、結婚、妊娠、出産を経験します。
そして、勤め先の仕事の他に自分の作品を作って作品展に出すようなこともしていました。
この頃になると、ある程度は、思いついたデザインを自分で形にするくらいのスキルは身についていました。
それから、出産前後に自宅で一人でいる時間や、赤ちゃんが眠ったタイミングを見計らって、ウェブサイトを作ったりもしていました。
現在のようなスマホ主流ではなかった時代です。もちろん、BASEやSTORESといったサービスもありません。
サイトを作るって、それなりに手間がかかって大変だったのです。
ショッピングカート機能のついたテンプレートをHTML編集することも覚え、手探りのネットショップ運営を始めてみました。
最初の頃はブログを書いて、Twitterはまだ商業的な気配はない気軽な雰囲気で、そのうちFacebookの時代がやってきて、あれやこれやとネット上の活動をしていました。
やや仕事中毒気味だった私は、心のどこかで「取り残されたくない」と思っていたかもしれません。
子どもがいることを理由に、やりたいことを諦めない。
『好き』を仕事にしたということで、自分の体調を最優先できない私はまさに「思考停止」状態です。
人生のステージは変わる
思い出を振り返りながら言葉を綴っていると、なんだかんだ充実していてうまくいってるじゃないか、と思われそうな内容です。
しかし、のちに私はこのときの職場を去ることになります。
当時の職場には、というよりも、私をジュエリーの仕事へ導いてくれた職人社長さんには、言い尽くせないほど感謝しています。
しかし、ありがたい恩恵や学びは、職場内ではない外の世界からいただいたもののほうが、だんだん比重が大きくなっていきました。
幸いにも、職人社長さんは私が働き始めた頃から
「どんどん(会社の)外でも活躍するといいよ」
と言ってくださって、私も社外の活動はその都度きっちり報告していたのでした。
順風満帆に見えた職場を辞めなければならなかったのは、私の人生のステージががらりと変わったから、でした。
綺麗事だけでは語れませんが、視点を変えてみれば…
非正規雇用で妊娠中の体調のトラブルもなにひとつ保障がなく、かと思いきや臨月の大きなお腹で店頭に立ち、やがては実家からも離れた土地で子ども二人をほぼワンオペ育児。
家族が寝静まる夜中に自分の作品作りに着手するも、研磨の音がうるさいと言われ、バスルームに閉じこもりオリジナルジュエリーを磨く日々。
それが20代後半から30歳頃の私の現実でした。
(つづく)
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