人生の入り口にやっと立てた20代半ば、結婚願望がないのに結婚に至る。
前回の続きです。
私が働きはじめ、ジュエリーについて学びはじめた2000年代。
あの頃は「就職氷河期」真っ只中でした。周囲の大人たちも「不況だ」「すっかりものが売れなくなった」などと事あるごとに言っていました。
大人たちとは、仕事を教えてくれている職人社長さんや、取引先の卸業者さんなど、バブル景気を経験した世代の方々です。
そんな日々でも、
「ただ仕入れて売るだけじゃなく、あなたがやっているような仕事は、この業界の中でも本当にいい仕事なんだよ。
とても喜ばれるし、思い出に残る仕事だからね」
と、どの方も私の仕事を応援してくれました。
『手作り体験教室』やオーダーメイドの仕事は、当たり前ですが一件ごとにまったく内容が異なり刺激的で、それまでにないやり甲斐を感じていました。
現在もそうですが、2000年代でもなにかしらの工夫をしなければ、簡単にお客さまに選んでいただけません。
そこで、勤務先では『体験教室』でお客さまご自身に結婚指輪を手作りしてもらうというプランをはじめたのだそうです。
結婚情報誌『ゼクシィ』に店舗ページを掲載して、遠方からもお客さまを呼び込みました。
誰もが「特別」になれるイベント
私は最初『結婚式』のためだけの雑誌があることが不思議でなりませんでした。
まだ自分の結婚願望など微塵も感じなかった頃です。
ついでに言うと、ウェディングジュエリーだけの専門店が想像以上に多いことも、『ゼクシィ』で知ったのです。
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『プロポーズしたらゼクシィ!』
…って、いつの間にかすっかり定番。
多くの人々の日常において、主役になれる一大イベントといえば、なによりもまず『挙式披露宴』なのでしょう。
パートナーとの日常がずっと続いていく『結婚』ではなく、セレモニーとしての『結婚式』、イベントとしての『披露宴』です。
景気など関係なく、結婚をしたいカップルは一定数いる。そんな人たちに情報を与えてあげる。広告主のもとへさりげなく誘導してあげる。
まだまだ、なんでもネットで検索!ではなく紙媒体が強かった時代です。
「この人と一緒になりたい」という個人的な想いからスタートしているのに、この世はなんてお金のかかるところだろう。
挙式、披露宴、レンタルドレス、どのページもキラキラした非日常が演出されています。
夢のようなたった一度きりのイベントのために…。
それでも、完成した結婚指輪は結婚式だけでなく、その先の未来までずっと身につけていけるものです。
『自分たちで作る』という行為も、忘れることのできない大切な思い出として残ります。
『手作り結婚指輪』は少しずつ支持されて、小さな小さな成功を収めていました。
すると、もっとなにか次の仕掛けを打ち出したい…というスタッフも出てきました。
「結婚が決まって手作り体験に来てもらうんじゃなく、もっと違うイベント企画ってないですか?」
「うーん、ご結婚じゃなくても、カップルや友人どうしで作りに来てもらう?」
「指輪を作りに来たことがきっかけで結婚決めちゃった〜!みたいな逆プランは?
プロポーズのお手伝いをします!みたいな…」
「ええ〜、それじゃもうジュエリー屋さんじゃなくってウェディングプランナーの仕事だよ!
そこまでの接客ができるの?失敗できないよ!?」
そんな企画を考えるまでもなく、『プロポーズのための手作りエンゲージリング』なら体験教室にすでにありました。
①ダイアモンドなど石を選んで(持ち込み)いただき、
②デザインをお客さまと一緒に考え、
③指輪の原型を削って作る
というプランでした。
原型→貴金属になってからの仕上げは私たちが行い、あくまでも制作をお手伝いする、という姿勢でした。
それ以上にお客さまのプライベートに踏み込むのは、専門外です。
でも実は、私は密かに専門式場やホテルの「ブライダルフェア」に潜入して、自分なりに接客を研究していたのでした。
あくまでも個人的に、です。
よい接客を受けてみれば、何か発見があるのではと考えたからです。
その頃、他の若手スタッフたちも結婚を控えていたり新婚だったり、また競合相手の他社店舗も多い地域で、職場には良くも悪くもハイテンションな空気がありました。
私も本来の人見知りが嘘のように、接客を含めた仕事をこなしました。
そして20代半ば。
さて、そんな日々が一年、二年…と積み重なって一通りの仕事を任されるようになった頃、20代半ばで私も結婚をします。
……指輪は?
……もちろん職場で作るよね?
他の選択肢なんてありませんでした。
そう、多くの方に『手作り結婚指輪』の魅力を伝えるうちに、誰よりも私自身がその世界にどっぷりはまってしまったのです。
何度も書きますが、「たいして結婚願望もなかったのに」…です。
もちろん、お付き合いしていた相手との縁があったからこその結婚ですが、この仕事なくしてそこに至ることはなかったと思います。
そのくらい、私は私の仕事が好きで好きでたまらなかったのです。
「昔はただ商品を並べているだけでなにもせず売れた」という、現実と向き合わない大人たちのせりふや、どこか詰めの甘いところがある職場のやり方にわずかな違和感を感じながら、それらに気づかないふりをして、好きな仕事を手離すまいと踏ん張っていたのです。
(つづく)
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