『「発想力か、「文章のうまさ」か?』
これは、「創作」に携わる人なら誰でもが考える問題だろう。
わたしは個人のことを言うならば、「発想力」で勝負をする方だ。
「文章力」というのは、誰でもが練習しさえすればうまくなるので、他者との差は努力した割には、開かないと思う。技術だからだ。
やはり、その人に生まれ備わった「発想力」が勝負だと思う。
わたしは、「ユーモアの精神」を大切にしている。
特に、「クスッ!」とわらうようなユーモアが好きだ。
読者から、「クスッ!」と笑みを浮かべてもらいながら「作品」を読んでもらえたらうれしい。
例えば、志賀直哉は文章がすごくうまい。短編の名手と言われるくらいだ。太宰治の文章は、うまいとは言えないが、一文、一文が長く、句読点がいくつもついている。しかし、読むとその一人称告白体の語りにいつのまにか、我を忘れて引き込まれている自分を発見する。それは、「太宰治の才能」であると思う。
誰でもレッスンを重ねれば「志賀直哉のようには書けるが、太宰治のようには」書けない。なぜなら、それが、太宰の「発想力であり才能」だからだ。
それでは、具体的にどうしたら良いのか?
自分の「発想力」を探すことである。
どんな「発想があり、それはどのように他者に影響するのか」を考えることである。
それには、沢山、文章を書くことである。
そうでないと自分の文章であっても分からないからだ。