「書くことと話すこと」
よくここで書くと時間がかかるから大変だという人がいる。
話し言葉は、よく会話の時に使う。
イメージとして話し言葉は、空中に投げられた言葉が次から次へと消えていく感じだ。
話し言葉は、書き言葉と違い普遍的に誰でもが分からなくてもよい。
例えば、若い人の会話を聞いていると何を言っているのか分からないときがある。
「あいつ超うぜぇんだけどどおもう?」
「むかつくよな」
「うぜえんだよ」
「ださいしね」
これは当人たちが分かる会話である。
会話と言うのは日常的に無意識にするものだから、そうなってしまうのだろう。
書き言葉には時間がかかる。
今、この文章を書いているが、時間がかかると思うし何分かかるのか分からない。
なぜ?文章を書くときは時間がかかるのだろうか?
ここ「note」に書くときなら、ここの参加者で文章を読んでくれる人は「読み手」であり「読者」でる。
彼らに分かるように書かなければ、ここに書いても無駄である。
分かるように書くとはどういうことか?
文章として「文脈」があること。
一文、一文を「脈絡」をもたせることで、全部書いた時にすべての文章から参加してもらわなくてはならないからだ。
「脈絡」のある文章を書くには、文章の組み立て方を考えながら書かなくてはならない。
「脈絡」をつける=「考えながら書く」
からである。
わたしは、時間をかけて、丁寧に丹念に「脈絡」がある文章を書くことは好きだ。
時間がかかるという人は、会話だったらすぐ「こうで・・」「こうだ!」という風に考えるのであろう。
丁寧に丹念に時間をかけ、ある普遍的なことをあらわにしていく作業は好きだ。
時間がかかって大変だという人は、まだ、文章を書きなれていないのだろう。すぐになれる必要はない。
作家・小説家になれば一生文字を書いて行く作業が続くわけだ。
それに耐えきれるかどうか、見切った方が良い。
最近、創作するために購入した本を紹介しておく。
という具合に沢山買ってしまった。
妻には仕事の本だと言ってあるので、何も文句は出ない。
「語彙」の攻略は、「覚える」しかない。「覚えて」使えるようになるのは大変だ。
以上の本は、7月中に読切るつもりでいる。