普通の女の子がNo,1SM嬢になるまで(Ⅲ)
【Ⅲ、上昇志向と劣等感の塊、性的目覚め】
学童時代は活発でありながらも、心の中では次第に陰キャと陽キャの二人の自分が育っていきました。
幼少期に両親が離婚したこと、親族や新しい父親との確執(今は克服しましたが)はありましたが大きな要因ではないと思います。
八方美人でそつなく振る舞うこと、ワイワイはしゃぐグループに憧れながらも、わずらわしくどこか見下していました。それでも一度打ち解けた人に対してはかなりのオープンマインド。
責任感はあり人をまとめる立場になれば率先して取り組み、オタク気質の完璧主義でこれと決まれば猪突猛進でした。
明るく真面目に見えながらどこか人と違い、一匹狼的である自分を隠すこともない。
ですが思春期に自分の容姿に強い劣等感を抱くようになり、できる自分の表の顔と、自信のない自分の裏の内面は完璧主義と交差し、極端になり歪んでいきました。
中学時代は特に厚いタラコ唇を男子からからかわれ、10代の頃はコンプレックスでした。
アトピー性皮膚炎や吹き出物も発症し、シャンプーなども自然派に変え病院へも通い試行錯誤しましたが効果なし。フケは出るし指は絆創膏だらけでした。
習っていたスポーツもやめ、より勉学や芸術の趣味に没頭しましたが、スレンダーだった体型は一時期標準より多い体重になりました。
イジメもあり、数日間だけですが登校拒否をし、他のオタクでネクラな友人や、長期に渡り不登校だった友人の影響で中二病を発動するなどしていました。
他に成績優秀だったりポジティブな親友がいたことや、趣味や部活に打ち込めたことで、ダークサイドには堕ちいずに、勉強ができ率先力も養うことができたのだと振り返ります。
そんな性格の女子だったからこそ、ムッツリスケベになるのに時間はかかりませんでした。
幼少期に誰かれかまわず抱きついていたというのだから根本的には人が好きで身体にも関心がありました。
保健体育の時間は、怖いものを見る時に手で顔を覆い指の隙間から見るように、教科書を開いていました。内容そのものに感情を高ぶらせていたのもありますが、嬉々として学ぶ表情を周囲の同級生に知られたくないという恥ずかしさもありました。
学童時代から長く社交ダンスをしていましたが、性に目覚め始めると、グループレッスンが楽しみで仕方ありませんでした。
参加している生徒の9割が中高年だったので可愛がってもらえるという特権というよりも、
スタンダードで男性と組んだ時。こすれるものに関心を持たない筈がありません。ですが、そんなことを口に出したりあからさまに避けることはできません。
セックスをしたいという欲求はまだなかったと思いますが、男性器への強い関心はそこからだったのでしょう。
また社交ダンスもそうですが、他にも通っていた美術教室の仲間がおじいちゃん世代だったこともあり、同級生よりは大人と過ごすことに安心感を覚え、恋愛対象もセックスの対象も親の年齢位の男性になったのだと考えています。
茉莉伽
(続きは、次に掲載される『普通の女の子がNo,1SM嬢になるまで(Ⅳ)』の記事をご覧ください。)