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前代未聞の超大作『怪談』裏話
1964年、小林正樹監督が挑んだ『怪談』は
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の原作から
『黒髪』『雪女』『耳なし芳一』『茶碗の中』の
四つの怪談話を映画化した オムニバス作品。
構想に10年を要し
9か月の撮影期間と 多額の予算をかけて製作された。
製作は
1954年に 岸恵子・久我美子・有馬稲子が設立した
「文芸プロダクションにんじんくらぶ」で
小林監督は それまでのリアリズム演出から一転
幻想と妖美の世界を すべてセット撮影で創り上げた。
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撮影したのは 京都の郊外にあった 日産自動車の格納庫で
この巨大な倉庫の中には
部外者に車のモデルを見られないように
テストコースまであった。
小林監督はここを借り切り
実に素晴らしい美術のセットを組んだが
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通常の撮影だと
ひとつのセットをいろんな角度から 撮れるようにするが
『怪談』の場合は 舞台と同じように片面しかなく
カメラを切り返すときは
セットを一度壊して また新しく作る。
そこで 膨大な費用と時間がかかり
3月クランクイン、7月完成予定が12月まで延び
製作費1億円が 3億円まで膨れ上がったが
しかし 映画を公開してみると 興行は芳しくなく
収入は3億円には遠く及ばず
結果、総勢800名に及ぶ
俳優、スタッフのほとんどは ノーギャラになってしまい
『雪女』に主演した仲代達矢も
飛行機代、ホテル代いっさいを 自分で出したという。
しかし映画は
素晴らしいものに 仕上がり
カンヌ映画祭に出品されることになった。
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この当時、イヴ・シャンピ監督と結婚し
フランスに住んでいた『雪女』に主演した岸恵子は
大いに喜び フランス中を駆け回って その下準備をしてくれた。
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ところが カンヌの事務局から
「上映時間が長すぎる」と伝えられ
仕方なくオムニバスの中のひとつを切ることになったが
それがよりにもよって『雪女』だった。
当然、怒り狂った 岸恵子であった。
だがカンヌでは 高評価を得て
小林監督としては 2年前の『切腹』につづき
カンヌ国際映画祭・審査員特別賞を受賞した。
しかし『怪談』の負債は あまりに大きく
制作にあたった
「プロダクションにんじんくらぶ」は倒産。
小林監督も青山の大きな自宅を売り払い
1996年(平成8)に 亡くなるまで
民家の二間の部屋を 間借りしていた。
また、仲代も400万円ほど出資していたが
監督が亡くなったとき
「自分の保険金で仲代君に返してくれ」
という遺言があったのでと 奥様が持ってこられたという。
もちろん受け取ることはなかったが・・。
「仲代達矢が語る 日本映画黄金時代」
その他より抜粋。