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「市川雷蔵 かげろうの死 【後】 」

映画評論家・田山力哉さんのご本 「市川雷蔵 かげろうの死」
その他から 抜粋したものを
前後、2回に分けてご紹介、今回はその後編です。

          〇

昭和33年
雷蔵は猛スピードで スターの座を駆け上っていた。

日本映画の入場人員はピークに達し
雷蔵出演の娯楽時代劇は どれも超満員だった。

こういう時期に
彼が俳優として大きく飛躍する チャンスが巡って来た。

すでに『ビルマの竪琴』『処刑の部屋』などで
その才気が評判になっていた 市川崑監督が

はじめて 大映京都に乗り込んで
三島由紀夫の「金閣寺」の映画化『炎上』を
撮ることになったのだ。

脚本は市川監督と 妻の和田夏十の共同制作。
キャメラは宮川一夫である。

当初は 大映所属の川口浩が 主演と決まっていたが
これに永田社長が反対。

この頃『新・平家物語』の 雷蔵を高く評価していた
市川監督は
主人公の学生僧・溝口役に 雷蔵を強く希望した。

だがこれは 雷蔵にとっては 初の現代劇であり
主人公・溝口伍市は
劣等感にさいなまれ、吃音で、陰性の暗い男であり
そのうえ坊主頭にも ならなくてはならない。

時代劇の美剣士ばかりを演じて来た
雷蔵には大きな冒険で 大映は社をあげて猛反対し
また、国宝に放火する役など とんでもない!と
後援会からも 苦情が相次いだが

雷蔵はそれらを まったく相手にせず
「やりまっせー!」と 積極的にこれを引き受けた。

このとき 市川監督についていた助監督は
チーフが田中徳三、セカンドが池広一夫だったが
当時の雷蔵を 買っていなかった池広は

「雷ちゃんなんか、
 こんな役に使ったって巧く行きっこないよ。
 失敗作と決まったようなもんだ・・」と
あくまで 雷蔵イチ押しの市川監督に 首を傾げていた。

ところが
脚本も出来て やっと主役も決まったところに
もっと大きな問題が持ち上がった。

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