報わせたい努力

報われる努力とは何だろう

私は発達障害やうつ病が嫌いだ。これらは辛さをわかってもらえる。理解しない人から守ってくれる人がいる。同じ症状名をもつ仲間がいる。研究してくれる人がいる。そう、嫉妬だ。私がもつ神経性頻尿症をはじめとした不安障害や経験した適応障害はどれくらいの知名度だろう。そして「辛さをわかって」と言う人が嫌いだ。病気を知ることと病気の辛さを共有することは別だと思っている。辛さを理解させことは病名を盾にした脅しだ。だから私は努力をした。努力したことを示せば頑張ったと認めてもらえる、辛かったと認めてもらえると思った。何も変わらなかった。「私の辛さをわかって」と何も変わらなかった。

私が辛いのは不安をもちやすい気質であることと適応障害になりやすいことである。普通が出来ないことである。10歳から26歳の今までずっと他人との違いを感じながら障害名をつけてもらえず何が悪いかもわからずただ他人より劣ってることに気づき努力すれば限界をむかえ自殺未遂ルートを繰り返す。「気のせいだよ」と言われ続けて薬を飲み通院し自傷、発狂、他傷妄想、引きこもりを繰り返し、社会で「変だね」と言われ病院で「普通だよ」と言われる繰り返し。グレーのまま納得しようとした。「仕方ない」「仕方ない」「仕方ない」何が?

知名度のない、大したことない病気の辛さなんて他人にわからない。私にしかわからない。それって存在しているの?私にしかわからない辛さも私にしかわからない努力も、他人から見えないものなら存在しないことと同じではないのか?今までの人生努力したことは受験勉強より部活より病気と付き合ったことだ。ただそれだけではどうしようもない。「辛さをわかって」というための病名を持ち合わせていない奴の悪あがきだ。嫌悪対象と同じことをしていただけだ。

この努力はどうしたら報われるのだろう。辛さをわかってもらって同情されるだけじゃ意味がない。昇華させないと意味がない。誰かの役に立ちたい。形にしたい。残したい。言い聞かせた慰めじゃ私は救われなかったから。

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