差別に『理解』よりも『禁止』が必要な5つの理由
現在、自民党で『LGBT理解増進法案』というものが推し進められています。この法案はセクシャルマイノリティに対しての理解を求めるものですが、理解だけでは現状ある深刻な差別問題を変えることはできないと波紋を呼んでいます。
今回は、差別の理解と禁止について考えてみました。
『理解』だけでは差別はなくならない
差別問題においての『理解』とは、差別があることへの認識のみにとどまってしまいます。
たとえば、学校でのいじめ問題や、障害者差別は、認知拡大・理解が進んでいるはずですが、多くのケースが解決や解消に至っていません。
もちろん、相互理解は大切です。しかし、その先にある『差別をしない』という行動こそが、本来の目的ではないでしょうか。
『理解』のウラには無意識の差別がある
多様な人々を『理解する』『認める』といったフレーズの裏には、マジョリティとしての『おごり』が見え隠れしています。
それはマイノリティが『普通じゃない人』だという、差別意識が潜在的に刷り込まれているからかもしれません。
一方、他人はそもそも自分とは違う人間。あなただけの『普通』が、他人に通用しない部分もたくさんあるでしょう。それらの人々も『普通じゃない』のではなく、あなたと違う価値観を持っているだけのことです。
差別は『やってはいけないこと』
理解によって差別が解消できれば理想的ですが、実際はうまくいきません。差別とひとことでいっても、どのような言動が差別にあたるのかは状況によって変わる場合もあります。
そのため、『いかなる差別も禁止である』という認識を定着させる方が、その先の『差別をしないための理解』が進むのではないかと思います。
多様性は『理解』ではなく『共生』
多様性は理解することよりも、共生するための方法を考え続けることが大切です。
日常においても『頭では理解していても、行動に移せない』ことはたくさんあります。同じように、差別はいけないことだと頭では分かっていても「そんなことを言い出したらなにも言えなくなるじゃないか」と言い訳を考え、行動に移せない人も多いでしょう。
一方、理解を進めることよりも『マイノリティの人たちも含めて、どうしたら社会で楽しく暮らすことができるか』を考えていく方が建設的であり、個々人の行動指針も定まりやすくなります。
思考停止につながる施策が最悪の病
差別や社会問題において、『分かったつもり』『自分は理解しているから大丈夫』という思考停止がいちばん厄介。
人も情報も常にアップデートされます。『分かった』内容も更新されて、違った側面が見えることもあるでしょう。
色々な人々の考え方を常に受け入れ、自分の中の常識や理解をさらに進めていくことが大切です。
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