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日常での『差別発言』が起こる背景

『差別をしてはいけないことは分かっている』。それでも口をついて、(差別的な)表現が出てしまう。周囲から指摘されると頭ではわかっているので、ついイラッとしてしまう…。そんなシーンが日常でもないでしょうか。

昨今、世界的にも話題に上がる『差別』。今回は、差別的発言の背景について考えてみました。


差別は良くないことは分かっていても代替表現を知らない

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日本では、男尊女卑や家族制から派生した言葉も多いため、現代の視点から観ると差別的だと感じる表現が散見されます。

日常会話やメディアで差別を含む表現が使われていると、言葉の意味を考えずに使い続けてしまいます。

一方で、さまざまな立場の人たちに配慮した、新しい表現も使われはじめています。

●「嫁」「旦那」
「妻」「夫」
●彼氏/彼女、配偶者
「パートナー」「お連れ合い」
●「オカマ」「オナベ」
使用しない、本人が希望するジェンダーで呼ぶ

代替表現は、今私たち自身が新しく考えていく問題です。上記のような言葉も、日常的に使わなければ広まりません。知っている人が、率先して使うことができるといいですよね。


平等でないと『ずるい』と感じてしまう

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日本には『ずるい』という言葉があります。自分と他人が同じ条件でなければ、ずるい。『ずるい』には、納得がいかない、といった考えも含まれています。

一方、考えたいのが『優遇(優位性)がなぜ必要なのか』ということです。

背の低い人が高い場所にあるモノを取ろうとしたとき、踏み台を使うとします。踏み台を使えば、高い場所にあるモノも取ることができますよね。でも背が高い人は踏み台を指差し、『あいつだけ楽をしようとしているからずるい』と言いました。
背の高い人は踏み台を使わなくても取れますし、踏み台を持ってくる作業も必要ありません。
踏み台を使うことは『ずるい』のでしょうか。

マジョリティ/マイノリティに関わる問題では、なぜそこに『優位性』をおく必要があるのかを考える必要があります。それでも『ずるい』のかを考えてみたとき、新しい考えが生まれるかもしれません。


『人』と『問題』を混同して一括りに嫌う

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また、日本ではディベートの文化がないことから、人と問題を混同している場合も多く見られます。

<<人と問題が混同される悪循環>>
特定の人に反論を言われた/嫌なことをされた

私を否定している/私に害を与える

その『カテゴリに所属する人』『問題に関わる人』は悪いやつだ

だから〇〇(問題)には賛成できない

その人と問題は関係ありません。またその人の意見とその人自身も切り分けて考えるべきでしょう。

意見はあくまでも価値観なので、違う価値観からアプローチしているにすぎません。

また『人』と『問題』の混同は、バイアスとして問題を複雑化させてしまうので、早めに切り分けることをお勧めします。


差別で考えたい『自由』と『責任』

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差別的についてはSDGsの取り組みもあり、世界的にも注目が集まっています。

日本では『表現(言論)の自由』が広く認知されていることから「何をいっても自由だ」という意見もあります。

発言をすること自体は自由ですが、その一方で、他者の人権を侵害する場合には、脅迫罪や名誉毀損(きそん)罪などの刑事的責任が問われる場合があることも心に留めなければなりません。





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