「仕事」について考える

なぜなら職場が閉店して暇だから。



私、平日は珈琲店でコーヒーの焙煎業務、週末はイベントホールの音響エンジニアという二足のわらじ状態なんですが、昨年末でイベントホールが一時閉店。それも流行りの感染症のせい…ではなく施設の建て替え工事で。
なんで今?自粛ムード真っ只中の休館中にできなかったのそれ??

というわけで片一方のわらじを編み直してる状況なんですね今。しかもこれが1年以上かかると。

ワーカホリックを地でいく私の人生における、最初にして最大級の暇。なんせ暇。とにかく暇。
 "社畜適正☆5" とか "三度の飯が仕事の人" とか "生き急ぎ選手権シード枠" とか周りから言われてる人間から仕事を奪うとこんなに没落するんだなーと身をもって知りました。

そう。とにかくやる気が起きない。
燃え尽き症候群、ってのがあるらしいけど多分それ。

珈琲店の仕事はちゃんとこなしてるけど、ただこなすだけ。仕事への熱意とか生活を豊かにしたいとかいう意欲が減った。坂道を転がる自転車みたいにどんどん加速して歯止めが効かない。これが本当にまずい。



人間、暇だと余計なことを考えるもので。
こんな仕事してて良かったのか、たいした功績もないのにだらだら続けてどうすんだ、とか。バッドモード入ると連鎖反応すごいよね。メンタルがヘラったことある人なら大体分かってくれるはず。

そんな時に思い出したのは、今までお世話になった人達からの言葉を書き留めたノート。
ぱらぱら捲って目についたのは、


「社会人の半分は現状維持か惰性で生きてる」

「その仕事でお金を頂いた瞬間、君はプロになる」

「心の乱れは仕事の乱れ」


なんかこう、胸のすく思いがして。
これを書いた当時は多分きっと言葉の意味が分かってなくて。ふーん良さげな台詞だなーとか言いながら書いてた気がするのに。なのに今になってめちゃくちゃ響くのなんだこれ。
半数の社会人はテキトーに生きてるから気にすんな、心穏やかにな、ってこの言葉をかけてもらった時の光景がぶわっとよみがえってきて一気に目が覚めた。
人生の先輩達すごい。一生尊敬すると思う。



そんな感じで今年のお正月は自己メンタルケアに費やしてしまいました。
人生初の寝正月。寝正月って言うのかこれは。まあゴロゴロしてたしいっか。

というわけで今年は珈琲店の業務を頑張ります。片方のわらじを編み直してても、一足あれば歩ける。
心穏やかに、って言い聞かせながら歩く。
転がれば楽な坂道をわざわざ歩く自分を褒める。歩くことを褒められないなら、坂道を走れない自分を許す。

仕事をもらえて、こなせてる自分偉いじゃん。なーんちゃって。
色々と取り戻すまではこのテンションで社会に出ようと思います。こんなクソでも経済を回してえらい。



みんなも根を詰めすぎず、ぼちぼち頑張りましょうね。メンタルよわよわ病弱人間との約束な!!



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