フォスターリング恵子 (Keiko Fosterling)

人の目が気になる日本での生活が苦手で、楽しいことは多々ありながらも気づくと辛さにフォーカスしがちだった私が、古事記と出会いアメリカ人と結婚し紆余曲折しながら、毎日が幸せで気づくとハッピーなことにフォーカスするような人生を送るようになった理由を小出しに綴っていきます。

フォスターリング恵子 (Keiko Fosterling)

人の目が気になる日本での生活が苦手で、楽しいことは多々ありながらも気づくと辛さにフォーカスしがちだった私が、古事記と出会いアメリカ人と結婚し紆余曲折しながら、毎日が幸せで気づくとハッピーなことにフォーカスするような人生を送るようになった理由を小出しに綴っていきます。

最近の記事

MY LIFE STORY −私と古事記の物語③−

”MY LIFE STORY” -古事記編その③- 昨日までのつづきです。 短くまとめるつもりが、なかなか長くなってきてしまった。 前回、肥料ばかりやり続けては花が咲かないと嘆いていた私が本来手をかけるべきところである「根っこ」という自分のアイデンティティの存在を知った−−−というお話だった。 私は6年前から【古事記の学び合い】という月一勉強会を開催している。 古事記研究家の加藤昌樹さん(以下マッキーさん)を先生にお招きし、人生を古事記に照らし合わせながら我々日本人の先人

    • MY LIFE STORY -私と古事記のものがたり②-

      私が古事記を知り、実際に学びをスタートし、それからのお話。 今日は①の続きです。 古事記が身近になったといえども、実は、自ら本を読んだりはしなかった。その衝撃体験から2年くらい経った頃だっただろうか、私は人生を大きく変えるお話を聴くこととなった。     自称、信用していた存在や居場所など当時はすべて失ったと思っていた人生の暗黒時代を生きていた時期。セミナージプシーだった私はある台湾人(以下ジョーさん)の講演会に行くことになった。 ジョーさんは15ヶ国語を操るマルチリンガル

      • MY LIFE STORY −私と古事記のものがたり①−

        Hello ケイコです。 私が古事記に出会い学び始めるまで、学び始めてからのSTORYを数回に分けてご紹介していきます。 古事記とパンク歌舞伎 はじめて古事記の内容に触れたのは26歳(だったはず)のクリスマス。 当時大好きで新潟へも招致したかったバンドが音楽音響を担当した「パンク歌舞伎」を名古屋能楽堂へ観に行った。   その時の題材が「古事記」。   なんとなく物語の予習はしたが、目当ては音楽だったため、お話自体には全く期待もせず…が正直なところ。 舞台が始まり、すぐ私は

        • 【古事記】スサノオはコミュ障、アマテラスはうつ病だった(?!)②

          前回からの続きです。 ①ではイザナギ社長に怒られたスサノオ海原支店長。更なる孤独を抱えてしまい、同期のアマテラス高天原支店長に会いに行く場面まで。 同期といえば仕事の壁にぶち当たったときに励まし励まされの文字通り「同志」。そうスサノオは思っていた。しかしコミュニケーションエラーは、自分の中の当たり前が相手の当たり前と合致しないときに起きるのだ。 振り絞った勇気を認めてもらえないと人は自信をなくす 気持ちを言葉にすることが大の苦手でありながらも、自分の中には確固たるビジョ

          【古事記】スサノオはコミュ障、アマテラスはうつ病だった(?!)①

          早速、今朝の「古事記の学び合い」の復習を兼ねてシェアを。 まず本題に入る前に、「DOING」と「BEING」について触れたい。 人間関係で大切なDOINGとBEINGの違い ◉「DOING」とは、行為行動のこと。 ◉「BEING」とは、存在自体のこと。 特に、人育ての現場で思い出してほしいモノの見方。注意をするときは相手のDOING(行為行動)に関して。ここに関しては自分の好き嫌いが入ってもしょうがない範囲。要は、大人であれば仕事内容。子供であれば忘れ物が多いなど学校生

          【古事記】スサノオはコミュ障、アマテラスはうつ病だった(?!)①

          【古事記】いつの時代も愛を残したい人間

          Hello, ケイコです。 古事記を学び始めて早6年。アウトプットをしてこなかったので小学生なら卒業となる6年目にして、やっと何かカタチに残していこうと決めました。 なぜ古事記はつくられたのか? 古事記を学び始めた頃に感じていた、”なぜ古事記を作ったのか”という点。 稗田阿礼(ヒエダ ノ アレ)が各地で耳にした話を、今でいう公民館のような民が集う場で語り伝えていたものを太 安万侶(オオノ ヤスマロ)が物語として残したもの、と記憶している。 この流れは、私たちが学びの場面

          【古事記】いつの時代も愛を残したい人間