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30年日本史00896【建武期】瓜生保の変心
新田義貞が金ヶ崎城に入った頃、足利方の越前守護・斯波高経の配下に瓜生保がいました。
瓜生保は、義鑑房をはじめとする弟たち3人が新田軍の味方をしていることを知り、
「弟たちが敵方についたことが露見すると、私も処刑されてしまう」
と思い、やはり弟と行動を共にして後醍醐方につこうと思い立ちました。再びの裏切りです。
瓜生保はさらに、斯波軍の中で志を同じくする者がいないか、探りを入れ始めます。
たまたま仲間の宇都宮泰藤(うつのみややすふじ)・天野政貞(あまのまささだ)と世間話をしていて、家紋の話になった際に、下座にいた名もなき武士が、
「二つ引き両(足利家の家紋)と大中黒(新田家の家紋)と、どちらがすぐれた家紋でしょうか」
と尋ねました。これに対して宇都宮泰藤が、
「吉凶で言えば、大中黒ほどめでたいものはないだろう。なぜなら、三鱗形の家紋を使っておられた北条家が滅び、二つ引き両の足利家の時代となった。そうなると、次に出てくるのは一つ引きの大中黒ではないか」
と述べ、さらに天野政貞が、
「そのとおりだ。古代の『易経』という本では、一の文字は『敵なし』と呼ばれ天下を治めるといわれてきた。いつかこの紋が全国を治めることだろう」
などと言い始めました。
これを聞いた瓜生保は、
「さては宇都宮・天野両者も新田方につくつもりがあるのだな」
と悟り、何度も酒をついだり茶を勧めたりして、親しくなった後で新田方に寝返ることを持ちかけ、見事これを仲間に引き込むことに成功しました。
瓜生らは斯波軍を抜け出して、脇屋義治が立て籠もる杣山城に駆け付けようとしましたが、高師泰らが出入口を厳しく検問していて抜け出すのは困難でした。瓜生は師泰に、
「仲間の軍に大豆を差し入れしたい」
と嘘の理由を申告することで検問を通過し、杣山城の脇屋義治軍に合流しました。
瓜生らの裏切りを知った高師泰は悔しがりながら、
「後になればなるほど新田軍は数を増やしてしまうだろう。まずは杣山城を落とし、それから金ヶ崎城を攻めよう」
といって6千騎を杣山城へ差し向けることとしました。