30年日本史00991【南北朝前期】上杉重能・畠山直宗の讒言
ここで太平記は、直義と師直の対立の原因となった妙吉(みょうきつ)という僧の話を取り上げています。
この頃、夢窓国師は天龍寺を建立して、多くの者から布施を集めていました。それを見た弟子の妙吉は羨み、
「自分も多くの布施を集められる法力を手にしてやろう」
と思い立って、仁和寺で熱心に祈祷の修行を行ったところ、見事これが功を奏して評判を呼ぶほどの腕前になり、師からも注目されるようになりました。
その後、夢窓国師は禅に傾倒していた直義から講釈を依頼され、こう回答しました。
「あなたに日夜の参禅をお教えしたいところですが、あなたの居宅まで毎日往復するのは困難です。今後は妙吉という弟子を派遣しましょう。妙吉もかなりの法力を持っていますから、何でも相談してください」
こうして直義と妙吉が初めて顔を合わせることとなったのですが、直義は初対面から大いに妙吉に惹かれ、一条戻橋に妙吉のための寺まで建てて、禅を広めるための拠点としました。多くの人々が妙吉のもとに集まり、布施を惜しまなかったといいます。
一方、高師直・師泰兄弟は、妙吉を馬鹿にして一度も会おうことをしませんでした。寺の門前を馬のまま通り過ぎ、道で出会っても衣を靴で蹴らんばかりの態度です。
直義側近の上杉重能と畠山直宗(はたけやまなおむね:?~1350)は、
「師直・師泰兄弟を失脚させるために、これは絶好の機会だ」
と考え、妙吉に近づいて様々な讒言をしました。「讒言」とは、嘘の情報によって人を陥れることですが、ほかならぬ太平記が地の文で「讒言」と記しており、嘘と断定しています。
上杉重能と畠山直宗の讒言を聞いた妙吉は、さっそく直義に師直・師泰兄弟の悪行を密告しました。その悪行とは次のようなものです。
〇恩賞に不満をこぼす武士に「近所の寺社や地主から勝手に奪い取れ」と述べた。
〇罪を犯して所領を没収された武士に「そのままの土地に居座っておれ」と述べた。
〇「天皇は木か金で作って、本物の天皇は島流しにすればよい」と述べた。
既に本稿で紹介した話ばかりですが、恐らく史実ではないでしょう。
妙吉はさらに、
「早く高兄弟をお討ちになって、上杉・畠山を執権として、幼い千寿王様(後の義詮)に天下をお譲りになってはいかがでしょう」
と畳みかけます。直義はこの話に心を動かされてしまいます。
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