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30年日本史00962【南北朝初期】飽浦信胤の変心

この連載は、日本史の通史というよりも「現代語訳・太平記」くらいの気持ちで読んでいただくのがちょうど良いかもしれません。

 伊予国に脇屋義助を派遣することになったものの、その経路は陸上も海上も全て敵地です。どうやって伊予まで行こうかと相談していると、備前国の住人・飽浦信胤が使者を派遣して来て、
「先月、小豆島(香川県小豆島町)で挙兵したところに国中の忠義の者たちが加わりました。既に逆賊を討ち、航路も確保しています。急いで近日中に大将をご派遣下さい」
と伝えてきました。これを聞いた吉野の面々は「やっと天運に恵まれた」と喜びました。
 さて、飽浦信胤といえば建武2(1335)年時点では北朝方の武将だったはずでしたね(00842回参照)。いつの間に南朝方になったのでしょうか。
 ここで「太平記」は飽浦信胤が北朝を裏切った原因について紹介しています。なんと、女性問題だというのです。いかにも創作っぽい話ですが紹介しましょう。
 高師直の従弟に、高師秋(こうのもろあき)という武将がいました。この師秋の妾であったお妻(おさい)という女性がトラブルの原因となります。
 お妻は美人として知られており、家柄もよかったものの、なかなか添い遂げる相手を見定めることができないまま月日を過ごしていましたが、いつしか高師秋と惹かれ合うようになりました。
 ところがこの高師秋は伊勢守護に任じられ、京を出て現地に赴任することとなりました。師秋には鎌倉に妻子がおり、その妻子も伊勢に呼んで、お妻も含めて同居したいというのです。その鎌倉の正妻が実に嫉妬深く気の強い女性だと聞いて、お妻は伊勢行きを内心嫌がるようになります。
 師秋はお妻をしつこく説得し、やっとの思いで輿に乗せて連れていくことができました。
 輿が瀬田橋(滋賀県大津市)を渡ったところで、風が吹いて簾がふっと吹き上がり、輿の中に齢80くらいの皺いっぱいの老婆が乗っているのが見えました。驚いた師秋が「狸か狐に化かされたのか」と言うと、老婆は
「私は化け物ではありません。お妻の方に長年お仕えしている者ですが、お妻の方に乗れと言われて乗っただけです」
と言います。
 師秋は「あの女に騙された」と悔しがり、京に戻ってお妻を探しましたが、お妻は飽浦信胤に嫁いでしまったとの情報が入ります。怒り狂った師秋は、飽浦信胤を斬ってやろうと計画し始めます。
 師秋が自分の殺害計画を立てていると聞いた信胤は、身を隠す場所もなく、やむなく北朝を捨てて南朝につくことを決めました。こうして北朝方はつまらない原因で忠臣を一人失ってしまったのでした。

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