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30年日本史01149【南北朝後期】苦林野の戦い 基氏の豪胆

「史上最長の日本通史(私調べ)」と勝手に名乗り始めました。これまで最長だったのは中央公論社の「日本の歴史」全26巻じゃないかなと思うのですが、それ以上に長いものをご存じの方がいたら教えてください。

 芳賀方のみならず基氏方もかなりの苦戦を強いられていました。
 大将たる基氏自身も、何度も敵に攻めかかったので馬がさんざんに斬られ、倒れてしまいます。そこに大将首を狙う敵兵が次々と斬りかかってくるので、基氏は太刀で防ぎながら、馬から離れて徒歩で戦います。
 基氏の戦いぶりを見ていた大高重成は、
「何と見事な戦いだ。昔の朝比奈義秀(00613回参照)ですら、これ程の戦いはしなかっただろう」
と褒め、基氏に自分の馬を譲りました。馬を得た基氏はさらに何度も敵中に駆け込んで戦ったといいます。
 一方、芳賀高貞は弟が討たれた上に息子の八郎(はちろう)も見えなくなったことが気になりました。
「八郎が見えないが、討たれたのだろうか」
と不安そうに述べたところ、近くにいた家来から、
「八郎殿が乗られた馬が、走って散っていくのを見ました」
との返事がありました。高貞が
「その馬に血は付いていたか」
と尋ねると、
「いえ、馬の頭に矢が一本立っていただけで、鞍に血はありませんでした」
との答えです。これを聞いた高貞は涙を浮かべ、
「では八郎は幼いので生け捕られたのだろう。戦に間ができると八郎は斬られてしまう。まだまだ戦おう」
と述べ、さらに敵中に駆け込んでいきます。これを聞いていた岡本富高(おかもととみたか:?~1363)は、
「敵の大将・基氏殿はどうやら白糸の鎧を着ている若武者のようだ。鎧の毛を目印にして、大将をこそ討ち取ろう」
と言って、笠印を捨てて敵に紛れ込んでいきました。味方のふりをしてこっそり近づいて討つ作戦です。
 しかしこのとき、基氏の側近・岩松直国(いわまつなおくに)が主君を守るべく、基氏の持つ白糸の鎧を代わりに着用していました。そのことを知らず、大将首を狙う岡本は岩松へと近づいていきます。

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