見出し画像

30年日本史01033【南北朝前期】直冬、一色氏を破る

だんだん話がややこしくなって来ましたね。ここらで脱落者が発生しないか心配しています。

 「①北朝尊氏党(師直派)②北朝直義党③南朝」の3勢力が争う中で、さっきまでは②と③が手を組んでいたのに、今度は①と③が手を組んだわけです。
 これにより、九州の戦況にも大きな変化が生じます。
 復習になりますが、九州の3勢力とは
・①北朝尊氏党: 一色氏
・②北朝直義党: 足利直冬と少弐氏
・③南朝方: 懐良親王と菊池氏(征西府)
でしたね。ここでも①と③が手を組むこととなります。直義政権において九州探題を解任されていた一色範氏が直冬への不満を溜め込んでおり、九州探題に復帰するや否や、直冬憎しで一致する南朝勢力と手を結んだというわけです。
 筑前(福岡県)を拠点とする一色氏と、肥後(熊本県)を拠点とする懐良親王・菊池氏が合流すると厄介です。そこで直冬は、両者が軍勢を合流させる前に一色を叩いてしまおうと、次々と軍勢を繰り出します。
○8月8日:白木原の戦い(熊本県玉名市)
 直冬方の畠山直顕(はたけやまただあき)が南朝軍の拠点を攻撃した戦い。結果は不明。
○8月12日:宗像城の戦い(福岡県宗像市)
 直冬方の少弐頼貞(しょうによりさだ)が一色範氏の拠点を攻撃した戦い。結果は不明。
○9月28日:月隈の戦い(福岡市博多区)
 直冬方の今川直貞(いまがわたださだ)が一色範氏の子・範光(のりみつ:1325~1388)と戦ったもの。
○9月28日:金隈の戦い(福岡市博多区)
 直冬方の今川直貞が南朝方の島津氏久(しまづうじひさ:1328~1387)と戦ったもの。
 この9月28日に起こった2つの戦いは、直冬方の勝利に終わりました。ちなみに月隈・金隈とは現在の博多空港のあるところです。
 さらに直冬は、翌9月29日に床河(福岡県久留米市)で一色範氏に大打撃を与えました。一色範氏は日田(大分県日田市)に逃亡します。
 直冬に追い込まれた一色氏ですが、頼みの綱である征西府が一色氏を助けるため行動を始めていました。同じ9月29日には、あの猛将・菊池武光が直冬方の関城(福岡県みやま市)、溝口城(福岡県筑後市)を破って北上してきたのです。
 絶大な強さを誇る菊池氏の助力を得て一色氏は息を吹き返し、逆に直冬は追い詰められていきます。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集