足利義政と鳩山由紀夫の共通点
今は応仁の乱について調べているのですが、いやはや、ややこし過ぎて上手く説明できる気がしません。
・畠山家の家督争い
・斯波家の家督争い
・細川と山名の対立
・将軍家の家督争い
という4つの対立軸が同時並行で進み、それだけならまだ良いのですが、そこに
・播磨国をめぐる山名家と赤松家の争い
・近江国をめぐる六角家と京極家の争い
などが加わって、さらに各国の争いに隣国が介入してくるという複雑さ。
応仁の乱の主たる原因は畠山家と斯波家の家督争いなのですが、その家督争いが白熱した原因は8代将軍義政の気まぐれにあります。
義政があっちを支持したりこっちを支持したりコロコロと態度を変えたため、双方に混乱をもたらしたのです。
テキストだけでまとめていてもさっぱり分からなかったので、表にまとめてみました。
いやはや、コロコロ変わり過ぎ。
義政はその都度有利な方につくのか、はたまた目の前にやって来た人を喜ばせようとしてついついサービスしてしまうのか。どうなんでしょう。
この表を作った後、ふと「似たような表をかつて作ったことがあるな」ということに気づきました。
かつて仲間うちの勉強会で民主党政権(2009~2012)についてプレゼンしたとき、辺野古問題をめぐる鳩山由紀夫首相の発言についてまとめたことがあったのです。
せっかくなので、同じ書式で書き直してみました。
鳩山さんって、本当に良い人だと思うんです。沖縄の人がやって来たら「県外移設を頑張るよ」と言ってくれるし、逆に外務省の人がやって来たら「うんうん、県外は非現実的かもね」といって話を合わせてしまう。
その結果、これだけコロコロと意見を変えてしまったのでしょうね。
足利義政も、きっと話しやすい良い人だったのでしょう。でも将軍には向いてなかったと思います。
「30年日本史」の連載が応仁の乱に行き着くのは、恐らく2026年の春頃かと思われます。本能寺の変は2028年くらいで、民主党政権については2050年くらいかな。どうか気長にお待ちください。