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30年日本史00022【旧石器】天文学的確率

 平成7(1995)年10月。上高森遺跡で、石器をU字型に配置した遺構が発見されました。またもや藤村による発見でした。原人はホモ・サピエンスとは異なり、知能が未発達です。まだ宗教という概念を持たない動物のはずなのに、石器をU字型に配置するという何らかの目的を持った行動をしたことが明らかとなったのです。
「原人にも宗教的風習があったのか」
と、考古学者たちはどよめきました。それまでの人類学の常識を覆す大発見だったのです。
 平成9(1997)年12月。更なる大発見がありました。奥羽山脈をはさんで30km離れた中島山遺跡(宮城県色麻町)と袖原3遺跡(山形県尾花沢市)から、ぴったり断面が接合する2つの石器が発見されたのです。いずれも10万年前の地層からでした。10万年前には、既に30km離れた集落同士での物流があったということになります。発見者の藤村は、
「自分でも信じられない!」
と、記者会見で2つの石器を高々と掲げてみせました。
 10万年も前の地層で、30kmも離れていて、そんな2つの石器が同時代に同一人物によって発見されるとは、まさに奇跡です。芹沢は「天文学的確率だ!」と叫んだそうです。さすがにやり過ぎだと思うのですが、このあたりで気づく人はいなかったのでしょうか。
 この年、芹沢は80歳を迎えていました。芹沢の傘寿を祝う席上で、藤村は
「芹沢先生の米寿までに100万年前の石器を発掘します」
と豪語しました。おそらく、捏造が発覚しなければ、近いうちに100万年前の石器を「発掘」していたことでしょう。
 平成11(1999)年10月。藤村はついに、上高森遺跡で70万年前の地層から石器を発見しました。またもや最古記録の更新です。
 これまでの最古記録の更新状況をまとめてみましょう。
昭和24(1949)年: 群馬県岩宿遺跡の3万年前(相澤忠洋)
昭和39(1964)年: 大分県早水台遺跡の10万年前(芹沢長介)ただし学界に認められず
昭和56(1981)年: 宮城県座散乱木遺跡の4万数千年前(藤村新一)
昭和59(1984)年: 宮城県馬場壇A遺跡の13~20万年前(藤村新一)
平成5(1993)年: 宮城県高森遺跡の50万年前(藤村新一)
平成11(1999)年: 宮城県上高森遺跡の70万年前(藤村新一)
 まさに快進撃というべき勢いですね。これが十分な検証もなされないまま教科書に載ってしまうことになります。
 私も高校時代、座散乱木、馬場壇A、高森、上高森の4遺跡を覚えさせられ、
「特に座散乱木と上高森は重要だから覚えておくように」
と言われた覚えがあります。これだけ不自然な発見なのにそのまま教科書に載ってしまうとは驚きですね。

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