見出し画像

30年日本史00054【弥生】邪馬台国への道程 不弥国~邪馬台国

 不弥国以降の道のりを辿っていきましょう。
・「南至投馬國水行二十日」
 南へ船で20日間いくと「投馬国(とうまこく)」に至るとのことです。
 これは一体どうしたことでしょうか。福岡県宇美町は内陸にあり、ここから船に乗ることはできません。川くらいならあったかもしれませんが、20日間も航海できるほどの規模の川はありません。どうやら不弥国を福岡県宇美町と比定するのは間違いだったようにも思われます。
 しかも、これまで概ね百里ずつ国の名前を紹介して来たのに、ここで突然かなり距離が空いてしまいます。20日間も船に乗るならば、どこかで途中下船するでしょうから、普通はその下船した場所の地名を書くのではないでしょうか。
 投馬国は一体どこにあるのか。多くの説が入り乱れており、多数説というものすら形成されておりません。
 ここで悩んでいても仕方がないので、ともかく続きを見てみましょう。
・「南至邪馬壹国女王之所都水行十日陸行一月」
 南に船で10日行き、陸を1ヶ月歩くと女王のいる都、邪馬台国に至るとのことです。
 これまたどうしたことでしょう。「水行十日陸行一月」というとかなりの距離です。これまで細かく地名を紹介していたのに、なぜこんなにも飛ばしてしまうのでしょうか。
 不弥国までは明らかに九州内にあると思われます。その不弥国から投馬国までは南へ水行20日。投馬国から邪馬台国までは南に水行10日陸行1月。九州からこんなにも南に行ってしまうと、鹿児島を越えて海上に出てしまい、邪馬台国は沖縄のあたりになってしまいます。
 いろいろな説があります。
・水行十日陸行一月とは、「かつ」の関係ではなく「又は」の関係なのではないか。つまり、「船で行くなら10日。陸で行くなら1ヶ月」という意味ではないか。
・使者は、邪馬台国が思ったより遠かったため、不弥国あたりで諦めて帰ってきてしまったのではないか。だから途中から説明がいい加減になっているのではないか。
・使者は、皇帝から褒美をもらうため、実際の距離よりも大袈裟に報告して、苦労したことをアピールしようとしたのではないか。
 しかし、どれもこれも根拠に欠けます。ここからは、様々な研究者のいろいろな説を見ていきましょう。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集