30年日本史00551【鎌倉初期】平泉の文化遺産
奥州藤原氏の栄華と没落を描いた大河ドラマ「炎立つ」第3部の主人公は藤原泰衡でした。
「父の遺言に逆らって卑怯にも義経を殺害し、頼朝とも戦わずに逃げたこの泰衡を、どうやって正当化するのだろう」
と不思議に思いながら見ていると、なんと
「泰衡は義経を殺害したように見せかけて逃がした。さらに領民たちを救うためにあえて平泉を戦場とするのを避けて逃亡した」
という新解釈で描かれていました。
さらに平泉から逃亡する泰衡の前に、父・秀衡の霊が現れてこんなことを説くのです。
「正史を紐解いてみよ。かつて敵に伍する戦力を持ちながら、無辜の民を一人たりとて傷付けることなく、また幾星霜に渡って築き上げられた文物を何ら損ねることなく、王の座を明け渡したものは、有史以来誰一人としておらぬ。文化は民のものにして王のものにあらず。民のために王の座を自ら明け渡す者、それを真の王者と人は称えよう」
何だか「敵国が攻めて来たら降伏するのが最善の策だ」と言われているような、不思議な感覚ですね。とはいえ、平泉の文化財が無事に残せたのは、確かに泰衡が戦わずして逃げてくれたおかげです。
当時、戦に敗北した武将は自らの拠点を焼き払って逃亡するのが常識でしたが、幸い泰衡が焼き払ったのは自らの居館周辺だけで、中尊寺や毛越寺は無傷で残されたのです。頼朝もまたこれらの文化財を後世に残すことを決定し、のちの建久6(1195)年には奥州総奉行の葛西清重に寺院の塔の修理を命じました。
こうして保存された平泉の文化財は、平成23(2011)年に世界遺産に登録されました。構成資産は
・初代清衡が建立した中尊寺
・2代基衡が建立(又は再建)した毛越寺(もうつうじ)
・2代基衡の妻が建立した観自在王院の跡
・3代秀衡が建立した無量光院の跡
・都市計画上の基準点とされた金鶏山
の5点です。いずれも、玉山金山(岩手県陸前高田市)の管理によって得られた莫大な富を背景に、当時の浄土思想を体現した建築として高い価値が認められています。
頼朝は平家を滅ぼし、次いで奥州藤原氏を滅ぼしたわけですが、平家が再興した厳島神社と奥州藤原氏が築いた平泉がともに世界遺産に登録されているのに対し、頼朝が築いた鎌倉の町は世界遺産暫定リストに掲載されたものの、開発が進みすぎていることを理由に平成25(2013)年に「不登録」との判断を示されてしまいました。頼朝は戦争に勝利したものの、800年後に文化面で敗北したといえるかもしれません。
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