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ハラルド王と妖妃スネーフリーズ

9世紀後半、ノルウェー最初の統一王となったハラルド美髪王が生涯ただ一度、恋に溺れたお話。
ノルウェー王朝史『ヘイムスクリングラ』収録「ハラルド美髪王のサガ」からのエピソードに創作を加えた、ファンタジー風味のある短編です。
第六回文学フリマ京都(2022年1月16日)で新刊として頒布したものですが、1年経ちましたので note にて無料公開することにしました。


 九世紀後半、ノルウェー南東部ヴェストフォルド。
ハルヴダン黒髪王の息子ハラルドは、父の死後、わずか十歳で王位を継いだ。
 彼は誰よりも身の丈すぐれ、力が強く、聡明で、美貌の持ち主であった。王になった時はまだ幼かったので、叔父のグトホルムが彼を補佐し、軍を取りまとめていたが、ハルヴダン黒髪王亡き後、近隣に所領を持つガンダールヴ王やエイステイン王の息子らをはじめ、有力な首長たちがハルヴダン王の残した国を狙い始めた。
 ハラルドは叔父の援助を受けて数多の敵に立ち向かい、幾度もガンダールヴ王らの軍勢を打ち破り、ついにガンダールヴ王の首級(しるし)をあげた。
 こうして数年をかけて、ハラルドはヴェストフォルド全域を己の領土として勝ち取ったのである。
 
 若きハラルド王は、西の沿岸部ホルダランドを治めるエイリーク王の娘ギュザを求め、使者を送った。ギュザ姫は非常に美しく、気高い精神の持ち主であったので、ハラルドは彼女を娶りたいと望んでいた。
 しかしながら、姫の返事はつれないものだった。
「わたくしには思いもよらぬことです」と彼女は言った。そして、小さな国の王にこの身を捧げるつもりはないと告げ、デンマークのゴルム王やウプサラのエイリーク王のように、ハラルド様がノルウェー全土を統治する王になられましたら喜んで妻となりましょう、と続けた。
 使者たちは王女の高慢さをハラルド王に伝えたが、ハラルドは怒るどころか感心して言った。
「姫は私に大切なことを教えてくれた」
 そして、彼は誓いを立てたのである。ノルウェー統一を果たすまでは、決して髪を切らず、梳りもしない、と。
 伸び放題の髪を振り乱し、〈蓬髪〉のハラルドと呼ばれながらも破竹の勢いで領土を拡げ、ハヴルスフィヨルドで決定的な勝利を収めると、彼に刃向かう敵はいなくなった。
 ノルウェー最初の統一王となったハラルドは、再びギュザ姫に求婚し、彼女を妻として迎え入れた。目的を果たし、数年ぶりに髪の手入れをすると大層美しくなったので、それ以後の彼は〈美髪王〉と呼ばれることになった。 
 
〈美髪〉のハラルドは、ギュザのほかにも多くの妻を持った。とりわけ身分の高い妃が〈権勢〉のラグンヒルドである。彼女はユラン(ユトランド、デンマーク)の王女で、〈血斧〉のエイリークの母となる。最後の妻はノルウェー西部モルストルの名士の娘ソーラで、彼女が産んだ息子がのちのホーコン善王である。
 ハラルド王の子供たちは皆、それぞれ母方の里で育てられ、多くの場合、その地域の首長や名士が養父に選ばれた。この時代、北方(ノルド)の国々の王侯貴族には、わが子を他家で養育させる慣習があった。
 かように好色漢のハラルドだが、息子たちには〈王〉の位を、女婿には王より一段低い〈侯(ヤール)〉の地位を与えた。彼の死後、それぞれの領地を受け継ぐ王や侯(ヤール)が我こそはと覇権を競い、王国は再び分裂を余儀なくされるのだが、それはここでは語らない。
ハラルドの統一王としての権威は揺るがず、彼の支配を拒んだ首長らはノルウェーを去り、フェロー諸島やアイスランドに移住した。また、ハラルド王は西方に遠征してシェトランド諸島やオークニー諸島を襲撃、数々の掠奪品を得た。
もはや向かうところ敵なし、ハラルド王の無双ぶりは国内外に広く知られることとなったが、そんな彼が生涯ただ一度、恋に溺れ、国のことも王としての義務も忘れてしまうほど骨抜きにされたことがある。
 
 ハラルドがノルウェー統一王となって数年が経った冬、王はウップランドのソプタルで催される冬至祭(ユール)に招かれた。
 祭りの二日目の夜、ハラルドが食卓についた時のこと。男がひとり、彼に近づき、自分の主人が王にお越しいただきたいと申していると伝えた。
「用があるなら、自分から出向いて来るのが筋であろう」
 王に対してなんたる不遜、とハラルドは腹を立て、使者を追い返した。平伏して王の前を去った男は己の主人スヴァーシのところへ戻り、王の言葉を伝えたが、スヴァーシはさらに、こう申し上げるように言った。
「いつか王陛下は、この地の丘の向こう側にフィン人のための小屋を建ててやるとお約束くださいました。そのフィン人こそ、私なのでございます」と。
 それを聞いたハラルド王は、なぜか非常に心がはやり、周囲の者らが止めるのを押し切って、使者について外に出た。
 漆黒の天空に冷たく澄んだ輪形の月が煌々と輝く夜だった。
 当時の冬至祭(ユール)は、豊作と平和を祈願すると同時に、死者と祖先を敬う祭事でもあった。死んだ祖先が現世(うつしよ)に帰って来たことを報せようとしているのか、凍えるほどの冷気にハラルドは身を引き締めた。
丘の上の小屋に着くと、重たげな扉が内側から開き、スヴァーシが深々と頭を下げて王を迎え入れた。
「王陛下。狭苦しいところでございますが、どうぞお寛ぎください」
 小屋の中では火が焚かれ、奥の方で若い女が酒の準備に取り掛かっている。火の灯りを頼りに娘を見やると、長身でしなやかな身体つきをしていることがわかった。
「ようこそ、おいでくださいました」
 蜂蜜酒(ミード)を満たした杯を捧げ持ち、娘はハラルドの方に歩み寄って微笑んだ。真冬だというのに、彼女は光沢のある薄物のドレスを肌着に重ねただけの姿だった。
「スヴァーシの娘、スネーフリーズと申します」
 冴えわたる月光のように輝かしい銀色の髪。長い睫毛に縁どられた氷青色の双眸。新雪のごとく白い肌。なんという美しさであろうか――。
 ハラルドは差し出された杯を右手で受け取り、無意識に左手でスネーフリーズの手首を握った。すると、どういうわけか身体が急に熱を帯び、彼女を抱きたくてたまらなくなった。
 ハラルドはスネーフリーズに夜伽を申しつけようとしたが、父親のスヴァーシが首を縦に振らなかった。彼は、王が彼女を正式な妻とせぬ限り、娘を貴方様に差し上げることはできません、と言うのだった。
 ハラルド王は即刻、スネーフリーズと婚約し、彼女を法に従って妻にすると宣言した。その性急さに側近たちは呆れるばかりだったが、ハラルドは気にしなかった。
「いとしい王、ハラルド様。わたくしをずっとお傍に置いてくださりませ」
 スネーフリーズに優しく触れられ、甘く切ない声でささやかれると、何故だかハラルドはもう他のことなど何ひとつ考えられなくなってしまうのだ。
「そなたは余の妻なのだから、いつまでも余の傍にいればよい」
「では誓ってください。わたくしを決して離さない、と。誓いを守ってくださるなら、わたくしは貴方様にこの上ない悦びと、かけがえのない宝を幾つでも差し上げますわ」
「ああ、誓うとも、麗しいスネーフリーズ。誓いは神聖で、余はそれを破ったことは一度も無い。愛している……愛しているぞ、誰よりも美しいわが妻よ」
 ハラルドはスネーフリーズの柔らかな身体をかき抱き、夢中で唇を吸った。
 
 スネーフリーズと出会ってからというもの、ハラルド王は分別を失い、民会(シング)を開くのを止め、政事(まつりごと)に見向きもしなくなった。王の家臣たちは、スネーフリーズのことを魔性のフィン女と呼び、ハラルド王は魔女の虜になってしまったのだと嘆いたが、どう諫めても王はまったく聞く耳を持たなかった。
このままでは王の影響力が弱まり、民の信頼を失ってしまう。取り返しのつかない事態に陥る前に手を打たねば……と家臣たちが打開策を求めて右往左往しているうちに、年月は経っていった。
 ハラルド王とスネーフリーズの間には、四人の息子が産まれた。〈庶子〉のシグルズ、〈高脚〉のハルヴダン、〈煌き〉のグズレーズ、〈すらり〉のログンヴァルドである。
「誇り高いフィン人の血をひく息子たち、わたくしの輝かしい宝。大人になったら、そなたたちは父王陛下のお役に立ち、われらフィン人のためになる政事(まつりごと)を行なっておくれ」
 フィン人の言葉で幼い子供たちに語りかけながら、スネーフリーズは微笑んだ。
「わたくしに野心は無いのよ。ただ、未来永劫、ハラルド王のお傍にいたいだけ。あの方には、わたくしだけを見つめていて欲しい。それだけが望みなの」

 次の冬、ノルウェー南部を流行り病が襲い、多くの民が高熱に苦しみ、命を落とした。そして、スネーフリーズもまた、この疫病に罹ってしまったのだ。
「ハラルド陛下、貴方様がお傍にいてくださって、わたくしは幸せにございます」
「死ぬことは許さぬぞ、スネーフリーズ。そなたはこれからもずっと、余の傍にいるのだ」
 ハラルドは、冥府の女王ヘルに愛する妻を連れて行かないよう祈り、寝食を忘れるほど懸命に看病した。
 スネーフリーズは微笑んで、王に礼を述べた。
「嬉しゅうございます、ハラルド様。これからも変わりなく、わたくしをお傍においてくださりませ」
「安心するがよい。余はそなたの傍を離れぬ」
 スネーフリーズは微かに頷いた。
 しかし、ハラルドの願いもむなしく、愛する妻はその夜、永遠の眠りについたのだった。
 王は嘆き悲しんだが、不思議なことに、数日が経過してもスネーフリーズの肌は輝きを失わず、頬は赤みを帯びていて、生前の姿そのままだった。
 冬至祭(ユール)の夜に出会った時と変わらぬ美しい顔を見つめ、
「スネーフリーズは死んだのではない。ただ眠っているだけなのだ」
 ハラルドは自分にそう言い聞かせると、寝台に横たわる妻の傍らに座って、彼女が眠りから覚めるのを待ち続けた。
「余は誓いを忘れることは無い。いとしい妻よ。余はいつだって、そなたの傍にいる」
 
 それから三年の月日が流れた。
 スネーフリーズは未だに美しい姿のまま、眠り続けていた。
 ハラルド王は彼女に誓ったとおり、その傍らに座して妻が目覚めるのを待っていた。
 最初は王と同様に、スネーフリーズはまだ生きているのかもしれないと考え、彼女の身体をそのままにしていた家臣たちも、三年経ってさすがに疑念を抱いた。
「やはり、あのフィン女は魔女であったに違いない」
「ハラルド王は邪悪な魔女に惑わされたのだ」
「しかし、どうすれば陛下を正気に返らせることができるのか」
 皆はスネーフリーズがいつか目覚めると信じて疑わない王の様子を憂いたが、良い解決策が見つからない。
 その時、彼らの話を聞いていた〈賢者〉ソルレイヴが口を開いた。
「私に考えがございます」
 家臣一同は、ソルレイヴの話を聞いて納得し、彼に任せることにした。
 
「王陛下」
 翌日、ソルレイヴはいつものようにスネーフリーズの傍らに座っているハラルド王に呼びかけた。
「御方様は大層美しく、高貴な方でいらっしゃいます。陛下が御方様を他の誰よりも愛し、ご愛用の羽根枕や絹の敷物に敬意をお示しになるのは、何の不思議もございませぬ」
 そこで一旦、言葉を切ると、ソルレイヴは王にだけ聴こえるよう、低声(こごえ)で続けた。
「ただ、御方様がこれほどまでに長い間、同じお召し物を身に着けたまま眠っておられるのは、御方様にとっても貴方様にとっても、ふさわしいこととは思えませぬ。一度、御方様を風通しのよいお部屋にお移しして、ご衣装をお替えになってはいかがでしょうか。御方様も、きっとお喜びになると思います」
 ソルレイヴの言葉を聞き、ハラルド王は頷いた。
「確かに、そちの申すとおりだ」
 そして、家臣らに手伝わせて、スネーフリーズの身体を寝台から起こそうとした時――。
 ひどい腐敗臭と汚臭があたりに立ち昇り、王と家臣たちは堪え切れずに思わず鼻をふさいだ。
「これは一体……どうしたというのだ」
 ハラルド王と家臣たちが顔を歪めてスネーフリーズを見やると、美しかった彼女の身体が青黒く変色し、忌まわしい臭いとともに蛆虫、蜥蜴、毒蛇、ひき蛙などが続々と中から這い出てきたのだ。
 動転して声も出ないハラルドに代わり、ソルレイヴは急いで使用人たちに火葬台の用意をさせ、スネーフリーズの遺体を焼いた。
 こうして彼女は灰になり、ハラルド王はようやく正気を取り戻したのだった。
「余はあの女に何を見ていたのか……」
 フィン人の魔女にたぶらかされたことに気づいた王は凄まじい怒りを覚えた。
これまでにも多くの女を愛したが、相手に翻弄されたのは初めてだった。スネーフリーズを憎みつつ、魔性の女につけ入られた自分にも腹が立った。
数日後、ハラルド王はスネーフリーズとの間にできた息子たちを館から追い出した。彼女のことを思い出すのが非常に不快であったからだ。
 追放された息子たちは皆、まだ年端のいかない少年だった。そのうちのひとり、〈煌き〉のグズレーズは、養父のショーゾールヴに会い、「どうにか父王の怒りを収めるため、一緒に王のところへ行ってほしい」と頼んだ。彼はさらに、自分たちも父王の役に立つことを望んでいると言った。
 ショーゾールヴはハラルド王の親友であったので、不憫なグズレーズの願いを聞いてやりたいと思った。
 二人は旅支度をして、数人の供を連れてウップランドに滞在中の王の館を訪れた。そこでショーゾールヴは帽子を被った白髪の老人に、グズレーズはその従者のひとりに姿を変え、目立たないよう広間の隅の長椅子に腰かけた。
 やがてハラルド王が広間に現れて、高座に座った。広間の中央にある炉のところでは王の部下たちが忙しく立ち働いている。彼らは蜂蜜酒(ミード)の準備をしているのだった。
 王は広間をぐるりと見廻し、左奥の隅の方に見慣れぬ者たちがいるのに気づいて呟いた。
 
 
   わが戦士らは
   蜂蜜酒(ミード)を求めて此処に来たれり
   白髪の老戦士よ、そなたはなにゆえ
   大挙して此処に見えたるや?
 
 
 ショーゾールヴは、次のように応じた。
 
 
   剣の戯れ(戦い)に
   われら黄金を打ち砕く者(王)より
   痛き傷を受けたり
   その数は多くあらねど
 
 
 白髪の老人は帽子を取り、王に視線を向けた。
「なんと、ショーゾールヴではないか」
 老人の正体が親友であることがわかると、ハラルド王は笑みを浮かべ、傍に来るよう言った。
「何ゆえ、変装などして此処へ来た?」
 王の問いに、ショーゾールヴは姿勢を正して答えた。
「陛下に申し上げたきことがございます」
 そして彼はスネーフリーズの息子たちの窮状を伝え、彼らを見棄てるべきではないと王を諭した。
「彼らには母親を選択することはできませんでした。もし選べたのであれば、もっと好ましい気質を持った母から産まれたかったでしょう。ですから、王よ。貴方の息子たちをお救いください。彼らは皆、貴方のお役に立つことを望んでおりますゆえ」
 ショーゾールヴの進言を、ハラルド王は受け容れた。
「おぬしの言うとおりだ。母親はともかく、息子たちには何の罪も無い」
 大きく頷くと、王はグズレーズを連れて来るよう言った。
「グズレーズよ、お前はこれからもショーゾールヴとともに暮らすがよい。諸芸に励み、養父に劣らぬ勇敢な戦士となれ」
 グズレーズは喜んで王に感謝の意を表した。
 ハラルド王は、グズレーズの兄弟――シグルズ、ハルヴダン、ログンヴァルドにそれぞれ別の地域にて養父を見つけてやった。後年、四人は長じて豪胆な戦士となった。
 スネーフリーズがまことに魔女であったのかは知る由も無い。しかし、彼女が産んだ息子たちの追放を後悔し、撤回したハラルド王は、ますます権勢を誇り、長きにわたって国は栄え、民は豊作と平和を享受したという。
 


『ハラルド王と妖妃スネーフリーズ』 JAMIE 著
2022年1月16日発行の小冊子より


 

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