【考察】なぜこの映画がアカデミー賞を獲れたのか【ビューティフル・マインド】
2001年公開。アメリカ映画。翌年アカデミー賞4冠。
作品のモチーフは「天才すぎる頭脳」です。
一説には、人間はIQが20違うと(高い方が意識して低い相手に合わせないと)仕事や勉強などの話が通じなくなるそうです。実際の社会ではIQ85からIQ115くらいまでの人達で6割程度を占めますから、逆に言えば4割の人は互いに30以上離れたレンジに分布して社会を形成していることになります。
ちなみに東京大学の生徒(日本人)は平均130だと言われています。ましてやジョン・ナッシュのような本物の天才であれば160にも迫るでしょう。私も学生時代にはそういう天才と話す機会がよくありましたが、彼らは本当に頭が良くて時々何を言ってるのか理解できなくて苦労しました。(笑)
なお真面目な日本人にはIQが高い方が良いと考える人が多いでしょうが、実際には社会情勢が不安定でも幸福感をキープできて結婚出産して人類が生き延びるにはIQが低い方が有利だという研究もあり、そこまで話は単純ではありません。身長は高い方がいいけど、あまり高すぎると服に困ったり、頭をぶつけやすかったり、骨折や病気になりやすかったり、映画館で他人の迷惑になったり、などと物理的な身体特徴が抱えるジレンマと同じですね。
念のために書いておきますが、IQとは「生まれつき決まっている思考の速さ」であり、知識の多寡は関係ありません。なのでIQが低い人がどんなに勉強して物知りになってもIQが劇的に上がることはありませんし、逆に子供の頃にIQが高かった人が成人後に勉強をサボっても下がることはありません。ただし血栓などで脳の老化が進行すると認知症などの機能不全に伴いIQが下がることはあります。
またIQ測定テストを繰り返し受けることで練習すると回答スピードは上がりますから、見かけ上のIQならば上げることはできます。ただし自分のIQを正しく理解して、それに相応しい態度で仕事や勉強に臨むことを考えた方が、結果的には幸せになれる気はします。これもまた物理的に体型に合ったサイズの服を着るのが良いのと同じですね。足が長いと嘘をついてもズボンの丈は余りますし、痩せていると嘘をついても服が小さくて着れません。
あまりにも頭が良すぎる人達が何を考えているのか、何が見えているのか、常人には(想像は出来ても)本当に理解することは不可能です。この映画は天才数学者ナッシュが素晴らしい頭脳《ビューティフル・マインド》の中で見えてしまったものと、それによって生まれた悲劇と、またその苦難を乗り越えた仲間や妻を描いたドラマです。
以下は、ネタバレ感想ですので未見の方はご注意ください。
▼あらすじ(ネタバレ):
▼感想:
●作品のテーマは愛
アカデミー賞で演技部門はジェニファー・コネリーだけが受賞しています。最近ではトップガン2でも大活躍でしたが、20年前の本作はさすがに若くて美しくて最強ですね。
前半こそスーパー美人であり女神という感じですが、後半になるにつれて、ナッシュの異常行動に振り回されながらも、子供を守り、夫を支え続けるという熱演が続き、どんどん引き込まれます。決して「ただの綺麗なお嬢さん」ではないですね。
そして映画クライマックスのノーベル賞授賞式スピーチの内容は、ナッシュが妻への感謝と賛辞を贈るだけ。愛こそが全てだ、という照れ臭いメッセージが、これだけのドラマで語られるからこそ響きます。
●作品のサブテーマは陰謀論
頭が良すぎるナッシュは「生きた最高の暗号解読マシーン」として政府に雇われます。ところが映画の後半でこれはナッシュの妄想だったと判明し、一体どこまで現実でどこから妄想だったのか、何が史実で何がフィクションなのか、この映画を観ただけでは正直よく分かりません。それがこの映画の面白い点でもあります。
いやあ私も映画を観ていて、ナッシュが雑誌や新聞の記事の中で法則性を見出すのはすごい才能だけど、それって誰が何の目的でどうやって書いてるのよ?と疑問を持たずにはいられませんでした。だって、そもそも暗号を仕込んだ文章を書くのは高度なテクニックと時間を要する作業ですし、雑誌や新聞にはその記者の名前も載るわけですし、そんな手間をかけて伝達するのはナンセンスすぎます。
しかし映画のように雄弁に語るメディアでは、あるいは「この映画は史実に基づく」という説明書きがあることで、どんなにおかしなことでも、これは事実かもしれないという認知バイアスが働いて、嘘だと見破る(確信する)のに時間を要することになります。
陰謀論や都市伝説は昔から世の中に存在するものでしたが、インターネットが普及した最近では認知バイアスがより先鋭化して、SNSでは想像・妄想・憶測の入り乱れた喧喧囂囂の大騒ぎとなっています。
インターネットは「情報の共有能力」を高めることによって人類の集団的な知能指数を上昇させることに大きく貢献しました。現代の私達が扱っている情報量は文明が発掘されている5,000年ほどの歴史の中で最大を更新し続けています。しかしそれは同時に、かつてはナッシュのような超人レベルの天才だけが味わっていた苦しみを、普通の人達にも広げるというマイナス効果もあったと言えそうです。
そんな令和の時代に、平成13年に公開された『ビューティフル・マインド』は一つの疑問を投げ掛ける映画になっているのではないでしょうか。
ナッシュは本当は存在しない見えない敵への恐怖に人生を滅茶苦茶にしてしまい、それでも最後まで彼を守ってくれたのは、手で触れることができる距離にいる家族であり友人であり同僚や教え子たちだった、というのはネット社会で実体のない存在に依存するようになった現代人に強く訴えかけるテーマだと思います。
●なぜアカデミー賞作品賞を獲れたのか
さて、なぜ本作がアカデミー賞作品賞に選ばれたのか考えてみます。
2002年3月開催の第74回アカデミー作品賞で、ノミネートとそのジャンルとテーマは以下の5作品。
個人的にはどれが受賞してもおかしくないと思いますが、やはり『ビューティフル・マインド』はサブテーマとして『アメリカへの脅威』を描いていたのが大きいと思います。
2001年のアメリカ合衆国を代表する出来事といえば、間違いなく9月11日のワールドトレードセンター等での同時多発テロになるでしょう。この事件をきっかけにアメリカは中東の大量破壊兵器保持の疑いを強め、2003年からの所謂「イラク戦争」へと突入していきます。そういう時代背景の考慮は不可欠です。
少し映画に詳しい人であれば、現代のアカデミー賞がもはや純粋に映画の品質だけで作品賞を選んでいないことは承知しておられると思いますが、実際にアカデミー賞は、こと作品賞についてはその傾向が強いです。
ここは誤解している人が多いのですが、もともとアカデミー賞は「世界一の映画を決める場所」ではなくて、ただの「アメリカの映画のお祭り」です。たまたま市場規模が世界で一番大きい国だっただけです。
アメリカ野球では2大リーグのチャンピオンでの最終決戦のことを「ワールド・シリーズ」と呼んでいるのと同じです。日本野球は日本シリーズと言いますね。よくアメリカ人は「自分の国=世界」だと勘違いしてるので、というかもしかしたら「world」という単語を、日本語で「世界」と翻訳しているのがズレているからの認知ギャップがあるだけのような気もしますが、とにかく日本人まで「アメリカ=世界」に付き合う必要はないかなとは思います。(笑)
なので、アカデミー作品賞に「その年のアメリカで起きた事件や世相を一番よく反映(象徴)している映画」が選ばれるのは、至極まっとうなことだと私は思います。
要するに、日本でも毎年暮れに清水寺で『今年の漢字』を決めるイベントがあるじゃないですか。あれと一緒ですよ。(笑)
了。