灯火、あるいは金目鯛(店名のないグルメ紀行)
銚子の町は真っ暗だった。
街灯がないわけではないし、もちろん民家もあれば、店もある。
それでも人気は極端に少なくて、店が集まっている地区も、駅前の通り以外は見つけられない。
果てにて
それは11月も半ば、秋と冬の間の季節だった。
「果てに行きたい」と思い立ち、私は銚子へとやってきた。
そこは最も手っ取り早い「果て」だったが、夜にもなると、本当に「果て」だった。
小雨が降る中、中心地から離れた犬吠埼の日帰り温泉に入り、18時半くらいに温泉の近くの回転寿司に向かう。
すると、早くもラストオーダーを終えている。
これは誤算だった。
でもきっと、居酒屋くらいはあるだろうし、回転寿司にこだわる必要もない。
その時は、そんなふうに楽観的に思えた。
一時間に一本しかやってこない市内交通「銚子電鉄」に乗り込み、市場の近くの駅でおりた。
世界中、いくらか街歩きはしてきた方だ。
市場があれば料理を出す店の何軒かはある。
夕食難民
ところが、だ。
駅を出てすぐ、目に入ってきたのは漆黒の闇。
人っこ一人いない。
市場の方へ歩けば何とかなるかと思えば、そういうわけでもない。
もちろん、市場の近くに魚を出す店の何軒かはある。
だが軒並み営業時間外である。
まだ19時半だ。
夜は始まったばかりだというのに。
ふと思い出した。
そういえばホテルの人に、「この辺のお店は早くに閉まっちゃうので」と言われていた。
だがその時の私は、まさか19時にはしまっているということを想像だにしなかった。
旅は常識が試される。
まさか、千葉県でそのような事態になるとは思わなかったが。
「スマホで調べれば良いじゃないか」と思われるかもしれない。
もちろん、私も現代人。初めのうちは私もそうしていたが、それでも軒並み営業終了だった。
さらに悪いことに、しばらくすると、漆黒の闇の中、一人で歩く私を取り残し、スマートフォンまで営業終了してしまったのである。
がらんとしていて誰もいない市場にたどり着いた時、私は腹を括った。
「関東一の海鮮が食えそうな町で、私は今夜、食いっぱぐれるらしい。話のネタにはなりそうだ。ひとまずホテルの近くのコンビニで何か買おう」
といっても次の電車は一時間先である。
ホテルまで歩いて20分ほど。
寒いが、歩いたほうがはやい。
とぼとぼと、海なのか、はたまた利根川なのかわからない水の音を聞きながら歩いていると、なぜだか気が晴れてくる。
むしろ面白いではないか、と、開き直ってくる。
その矢先、一軒の店が目に止まった。
灯火
それは海(川か?)に面して立っている小さな店で、暖簾はかかっている。
どうやら海鮮を出す店らしい。
暗闇に光る一筋の光。
開き直った時にこそ、救いの手がやってくるのだ。
だが、油断はできない。
見かけは営業中でも、いざ暖簾をくぐるとラストオーダー終了、なんてこともある。
意を決して暖簾をくぐり、戸を開ける。
カウンター席が三席ほど、テーブルは二つ、といった本当にこじんまりとした店である。
テーブルにはそれぞれ、カップルと家族連れが、カウンターにはスーツ姿の男が一人座っていた。
これは期待できる。
願わくば、まだやっていて欲しい。
「すみません、まだやってますか?」
まさに「大将、やってる?」だ。
あまりの常套句に笑いそうになる。
いや、それどころではないのである。
死活問題なのである。
「ええ。カウンター席にどうぞ」
とガタイのいい、スキンヘッドの大将は静かに答えた。
地魚と地酒と
時刻はもう20時。命がつながった。
私は暖かい店内の、カウンターに腰掛けた。
「この辺りのおすすめのお酒はありますか?」
と大将に尋ねると、一通り説明の後で、
「祥兆ですかね」と言うので、
もらうことにした。
出された徳利から手酌で注いだ銚子の酒をちょっと飲む。
割とすっきりとしていて飲みやすい。
きっと刺身などにも合うのだろう。
ほろ酔い気分で店内を見ていると、どうやら「漬け丼」が有名なようで、テレビでも紹介されたらしい。
証拠にサイン色紙や写真が飾ってある。
こういう場合、「正解」があるとすれば、それは「漬け丼」である。
だが、お品書きに目を通していたら、私はどうしても「地魚の刺身定食」が食いたくなってきてしまった。
市場の近くだ。夜だとはいえ、東京より新鮮な魚が食える。
それに「地のもの」というのがいい。
私は地魚の刺身定食を頼んだ。
付け合わせで味噌汁もついてくる。
寒くて暗い街を彷徨った後、それがどんなにありがたいことか・・・。
やってきた刺身定食は、赤身、白身、光物が色とりどりである。
なかでも珍しく、美味かったのは、金目鯛だ。
後で知ったのだが、どうやら銚子の名物らしい。
脂が乗っていて、魚の甘さを感じる。
金目鯛というとどうしても煮付けのイメージだが、刺身の定番にして欲しいくらいうまい。
そして、酒によく合う。
きっと、この銚子という町だからこそ、新鮮な刺身が提供でき、銚子の酒だからこそ、味を引き立ててくれるのだろう。
真っ暗な世界に差した小さな灯火。
これだから旅はやめられない。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?