朝食は教えてくれる(ローマ、コロッセオ周辺)
行きつけ恐怖症?
確か『旅のつばくろ』だったと思うが、沢木耕太郎の本に「旅先で同じ店に通い詰める」ということの重要さが書かれていた。
同じ店に行き続けることで、一種の旅先での生活のリズムができてゆき、その街との関係を結ぶことができる。
だが、飽き性なのか、私はほとんど旅先で同じ店に通い詰めたことはない。
いや、旅先に限ったことではない。
日常生活の中でも、行きつけになって、店の人に顔を覚えられるようになると、何だか恥ずかしくなって、すぐに疎遠になってしまう。
関係を結ぶことの怖さ、気恥ずかしさ、色々と形容する言い方はあるだろうが、要するに、如何ともし難いシャイなのかもしれない。
だが、いくつか例外がある。
そのひとつが、ローマのコーヒーショップである。
ローマのコーヒーショップ
とはいえ、ローマのコーヒーショップは二日通ったに過ぎない。
それでも私にしては珍しい。
その店は、コロッセオに程近い、古代ローマにおいても、現在のローマにおいても中心地にある。
ヨーロッパ、というと、日本ではゴテゴテっとした装飾が施されたレトロかつおしゃれな建物を思い浮かべる人が多い。
バロック、ロココ、ルネサンスにゴシックとまあ、そういった感じのものである。
だが、実際にヨーロッパに行ってみると、(国にもよるが)それよりもツルッとして、装飾など何もない無機質で、やけに衛生的な店とよく出会う。
この、ローマのコーヒーショップもそんな、無機質な店内に、テーブルがいくつか並んでいるスタイルだ。
ところで、先ほどから「コーヒーショップ」といっている。
カフェというと何だか違うし、バルというには酒を見ない。
パンやケーキも売りのようだったが、パン屋でもケーキ屋でもない。
だから、コーヒーショップ。
それだけのことだ。
ドルチェ・ヴィータ
そんなコーヒーショップに、私は朝の散歩の後に行くようになった。
ナチュラルに遺跡がごろごろと転がっている街を歩き、アパートの近くのコーヒーショップに入る。
結構な人気で、広い店内も地元の人でほとんど満員だ。
私は決まって、カプチーノとコロネットを頼んだ。
カプチーノはイタリアの朝食の定番。コロネットも定番。
馬鹿みたいに定番揃いである。
ちなみにコルネットを簡単に言えば甘いクロワッサンだ。
クロワッサンは「三日月」という意味だが、コルネットは「小さな角」で、お国が違えばイメージするものが違うのも面白い。
どれも、抜群にうまい、というほどでもないが、やはりうまい。
日本式の朝食に慣れていると、朝であっても一汁三菜にしなくては、と考えがちだが、コーヒーと甘いパンで目を覚ますというのも悪くない。
砂糖の糖分、コーヒーのカフェインが身体を目覚めさせ、快晴のローマを歩けば、気分まで快晴になる。
「ローマ」へと続く道
そんな朝に惹かれ、次の日もまたコーヒーショップへ行くと、禿頭の店主はなんとなく私のことを覚えてくれた。
きっとあの界隈でアジア人は珍しいのだろう。
「カプチーノとコルネットだろ?」
と言ったかどうかまでは覚えていないが、親しみを覚える笑顔で接してくれた。
「グラッツィエ」と、イタリア語で礼を言うと、嬉しそうに頷いた。
もっと通う時間があったら、私もこの店の常連になれたのだろうか。
行きつけ恐怖症の私でも、もっと行きたかったなと口惜しくなってくる。
イタリアは三度目だった。
だが今までのイタリアの印象は、総じて、街や文化はすごいが、イタリア人は異邦人に対して冷たい、というものだった。
でもこうして、2回きりではあっても同じ店に行ってみて、こちらの振る舞い次第だなと痛感した。
たぶん、今までは、スリや治安の悪さで知られるイタリアに、悪い形で警戒していたのだと思う。
意識的にであれ、無意識的にであれ。
そりゃあ、そんな奴にあったかく接する義理はないのである。
こちらが知り合おうとすることで、そう、たとえば同じ店に毎日行ってみたりすることで、扉は開かれる。
それには勇気も体力も必要だが、やってみる価値はある。
当たり前といえば当たり前だが、改めて気付かされた。
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